自慢こそが自己防衛

自慢こそが自己防衛volunteer




    「わたしは、何でも出来る」

    「あれも、これも持っている」

    「何もかも知っている」

    こんな言動を癖にしている友人が、あなたの周りにも一人や二人いるはずです。

    「ああ~、また、例の自慢話が始まったよ」

    そう周囲がうんざり顔で聞いていることに気付きながらも、どうしてその人は自慢話をやめないのでしょうか?

    それは、その人にとって、自慢話が自己防衛手段の一つだからなのだそうです。

    周りにつけ込むすきを与えてはならない。

    自分を周囲の攻撃対象にはさせない。

    そんな過剰な防衛本能が、こうした自慢をさせることになるのだそうで、そういう人ほど実は自らの弱点を熟知している可能性が大なのです。

    自分の内面の弱さを相手に見せまいとすることで、こうした必要以上の自己主張に走ってしまうことは良くある話で、そのことがさらに敵を作るはめになることに気が付かないのだとか・・・。

    こういう自己防衛本能の強い人は、自分というものに自信がないために物や他人の威光を己の身にまとう形で、安心感を得ようともするのだそうです。

    でも、こういう考え方って、かなり侘しいものですよね。

    要は、寄りかかる物がなければ自立出来ないことを暴露しているようなものですから。

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Posted by ちよみ at 18:16Comments(0)TrackBack(0)

ぜ----という語尾が意味するもの

ぜ----という語尾が意味するものreader




    
    男性が時々使う「ぜ」という語尾には、どういう意味が含まれているのだろうか?

    「今度、飲みに行こうぜ」

    「よかったら相談に乗るぜ」

    近頃はお笑いピン芸人のスギちゃんも、この「~だぜェ」を連発している。

    「ワイルドだぜェ~。最終回の登板が残っているのに阪神ファンが、どんどん席を立って行ったぜェ~」

    (スギちゃんは、プロ顔負けのマジックの腕前を持っているのに、どうしてこんな芸で人気を集めているのか不思議なのだが・・・)

    どうやら、この「~ぜェ」には、相手に対する男性特有の優越感や寛大さを見せるという意味があるようで、下目に見ている相手にほど、使いたくなってしまう語尾なのだそうだ。

    つまり、スギちゃんの芸が可笑しいのは、スギちゃんというどう見てもうだつの上がらなそうな滑稽な風体の男性が、その事実に気付かないまま、観客に向かってさも自分の方が立派な人間なのだとアピールするところにあるのだが、その効果を倍増しているのが、この「~だぜェ」なのである。

    しかも、この「~ぜ」には、相手に対して「きみだけなんだ」という切迫感がない。

    「きみの相談は受けてやるよ。でも、こっちもそう必死になって相談に乗るわけじゃないからな」

    と、いう気持ちがやんわり透けるのが、この「~ぜ」なのである。

    こういう語尾を頻繁に使う男性の性格は、どちらかというと親分肌の兄貴風を吹かすタイプだから、こういう男性の気を惹きたいと思うのならば、逆に、

    「自分にとっては、あなたこそ特別な人です」

    的な態度や言葉使いをすることで、好感度は上がるそうである。



    因みに、この間の「(笑)の考察」に補足するのだが、この(笑)には、本心をカムフラージュするという役割があるのだが、冗談ぽい事柄のあとに(笑)が来ていた時は要注意である。

    たとえば、「きみに対して良からぬ気持ちなんか持たないから。(笑)」のような場合は、「持つかもしれないぞ~」という気持ちが十分に隠れていると思った方が無難だとのことである。


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ブログの読者の増やし方

ブログの読者の増やし方diary




    今日の信濃毎日新聞に「ブログひと工夫  愛読者増やそう」という記事があった。



    

    記事には、ブログをアップする時間帯を、読者層をある程度絞り込むことで出来るだけ定時にするとか、文字に大小を付けたりカラーにするなどして読者の目を惹こうなどの、ブログのアクセス数を増やすうえでの効果的な方法が書かれていた。

    この記事にアドバイスしているのは、ナガブロガーさんだそうだが、確かにどのような記事が読者の興味に応えることが出来るのかを見極めるのは容易な作業ではない。

    ブログは、ほぼ毎日書くものだから、アクセス数を稼ぐことばかりを目的にしてもブロガー自身が疲れてしまうこともある。

    やはり、アクセス数も大事だが、ブロガーが無理なく楽しく書けるような、自身にとって興味のある話題や書き方をするのも長く続けるための秘訣ではないかと思われる。

    わたしの書く記事は、以前、「読んでいて疲れる」と言われたこともあるほど理屈っぽいし、かといってカラー文字を多用することもない、いわゆる「文字ブログ」の類なのだが、やはり自分にはこういう書き方が一番合っているようにも思うのだ。

    ブログには、写真で魅せるブログもあれば、文章力や情報量で読者の興味を惹くものもある。

    また、きわどい表現を多用することで、記事その物ではなく、書き手のブロガー自身に興味を覚えさせるという新手を駆使するブロガーもいる。

    まあ、ブログの書き方は多種多様だが、わたし個人の希望としては、もっと自身の考え方や思いを反映させた文章で読ませるブロガーさんが多く出て来て欲しいと思うのだが・・・。

    皆さんは、如何だろうか?

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日本語は難しい

日本語は難しいicon10




    日本語というものは、何とも難しいものだ。

    先のブログ記事に「人気のない志賀高原が好き」というのを書いたのだが、あとでタイトルを読み返してみて「こりゃ、いかん!」と、慌てた。face08

    この「人気」という漢字、読み方を間違えればまったく意味が変わってしまうことに気付いたからだ。

    そこで、「人気(ひとけ)」と、ふり仮名を付けることにした。

    以前、どーもオリゴ糖さんが教えて下さった「関ヶ原で戦死したのは何人?」のクイズのようになってしまった。

    これも、「何人?」を「なにじん?」と、読むことで正解が判るというものだった。

    もちろん、答えは、「日本人」だ。face02




    ところで、あなたは自分自身が親離れで来ていると思っているだろうか?

    「もちろん、親離れしているわ。だって、わたし結婚しているもの」

    と、いう人がいても、それが本当の親離れなのかは怪しいという。

    要は、親の代わりが配偶者になっただけのことではないのか?

    ある心理学者は、親離れの意味をこう説明している。

    「親に対する依存心をなくした時が、親離れである。依存心をなくした時とは、自分が親から可愛がられようと思わなくなった時ということだ。つまりは、親の機嫌をとる必要を感じなくなった時ということである」

    しかし、それは何も親や配偶者に対する日常の無意識化とは違う。

    これを当てはめると、配偶者の機嫌を気にするうちは、完全な意味での親離れとはいえないようである。

    

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ゆきつぼさんの記事

ゆきつぼさんの記事trip02




    五月十二日(土)の長野市民新聞にナガブロガーのゆきつぼさんの記事が掲載されました。(上の記事です)





    栄村出身のゆきつぼさんが、栄村をもっと知ってもらいたいと、昨年三月十二日の長野県北部地震で被災した同村の文化伝統を発信する企画展を、長野市長門町のカフェ『マゼコゼ』さんで開いているという内容です。

    同企画展は十九日までで、入場無料とのことです。

    栄村の方たちは、今、懸命に復興への足がかりを模索しています。

    わたしの知り合いの栄村出身の方も、「とにかく、まず村がどういうところなのか知って欲しい」と、話していました。

    ゆきつぼさんの企画展は、きっと皆さんにそんな栄村を身近に感じてもらえる一助となることでしょう。

    豪雪と歴史とぬくもりの里・栄村をもっと知りたいと思われる方は、ぜひ開催期間中に足を運んでみては如何でしょうか?

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イエス、ノーの見分け方

イエス、ノーの見分け方yama




    人と話をしている時、「この人、わたしの意見に賛成なのかな?それとも、反対なのかな?」と、気になって仕方がない時ってありますよね。

    そんな時は、相手の手の仕草を見ていると、意外にその本音を知ることが出来るんだそうですよ。

    たとえば、相手が自分の顎に片手を添えてあなたの話に頷いている時や、テーブルの上に両の手のひらを開いたまま載せているとか、テーブルの上にある湯呑み茶碗などを手で横へよけたりする時は、たいてい、あなたの話をもっと聞きたいと思っている証拠だそうです。

    顎に片手を添えて頷くということは、神経を集中しているということであり、手のひらを開いたままテーブルに載せているということは、あなたに対して気持ちを開いているという証拠なのだとか・・・。

    また、テーブルの上の湯呑茶碗などを横へ片付けているということもまた、あなたとの間に垣根を作りたくないと思っている無意識の行動なのだそうです。

    ところが、その逆に、相手が、顎の前で握りこぶしを作るとか、両手を頭の後ろで組む、両手で顎を支える、テーブルの上を指でコツコツ鳴らす、テーブルの上の湯呑茶碗やペンケースなどを頻繁に手で移動させる、指先で額の真中を押すなどの仕草をしているような時は、あなたの話に否を唱えたいと思っている証拠なのだそうです。

    顎の前で握りこぶしを作ったり、顎を両手で支えるなどの仕草の場合は、あなたに対する防御姿勢であり、両手を頭の後ろで組むというのは、既にあなたの話に飽きている証拠。

    テーブルの上でコツコツ指を鳴らすのは、あなたの話が長いのでイライラしている意味であり、テーブルの上の湯呑茶碗やペンケースなどを頻繁に移動するのは、あなたの意見に反論したいという気持ちの表われであり、額の真中を指先で押している時は、あなたのアイデアには無理があると言いたいような場合だということのようです。

    脚の組み方や置き方にも人の気持ちは大きく表われますが、手の仕草からもやはり同じように気持ちの動きは見えるもののようですね。



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人気(ひとけ)のない志賀高原が好き

人気(ひとけ)のない志賀高原が好きicon06




    先日、あるバスツアーでこちらを訪れたという観光客の中年女性が、散歩途中のわたしに道を訊ねたついでに、こんなことを言っていた。

    「実は、ツアーに申し込んだら、あたしと友人だけ、泊るホテルが志賀高原のホテルになってしまったんですよ。他の人たちは麓の旅館やホテルに割り当てられたんだけれど・・・。

    そうしたら、今の季節の志賀高原て本当に誰もいないのよね。スーパーがあるわけじゃないし、遊ぶところもなくて、あんまり寂しいから路線バスで山から下りて来ちゃった。

    でも、予定ではもう一泊することになっているから、また戻らなきゃならないんだけれど・・・」

    そりゃァ、そうだろう。

    この時季の志賀高原といえば、山へ入るのはたいていが山菜採りの地元住民ぐらいだから、ホテルでの宿泊客などほとんどいないのが相場だ。

    きっと、ホテルの中もガラ~ンとしていて、人の気配もないんじゃないかな?

    女性の話を聞くと、ミステリー・ツアーの類の旅行のようだから、目的地は観光業者任せで自分たちは何処へ行くのか判らなかったらしい。

    それにしても、ホテルがちょうど時季外れの志賀高原とは、それだけでも十分ミステリーだ。face07

    そういえば、昔、わたしも良く冬季のスキー以外でも志賀高原のホテルに泊まったことがあったが、そういう時は、やはりいつも6月ぐらいの梅雨寒むい頃であった。

    でも、わたしは、何故かその時分の志賀高原の閑散とした空気が好きだった。

    友人と一緒に人気のないハイキング道を歩くのも好きだったし、他には宿泊客の影さえないような広々としたホテルの中も何となくワクワクしたものである。

    晴れた日よりも、どんよりと曇った空に薄墨を溶かしたような霧が流れ、それが青黒い山肌を覆うさまがまた何とも言えず、無性に創作のイマジネーションを掻き立てられたものである。

    まあ、こんな風に感じる人は、あまりいないんだろうな。

    最近は、志賀高原へも行っていないが、こんな季節になるとあの頃の神秘的な光景が思い起こされて、ちょっと楽しい気持ちになるものだ。

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本心を隠す人

本心を隠す人icon25




    大人になると子供の頃と違って、簡単には本音で欲求が表現できなくなるものだ。

    たとえば、先の料理研究家・園山真希絵さんの例もそうだが、彼女は本心では塩谷瞬が大好きで仕方がないのだが、それを口に出すのは照れくさいし、子供っぽい女性だと軽んじられても面白くないと思うあまり、

    「わたしをお嫁さんにして下さい!」

    という、直接表現が出来ずにいたのではないかと思われる。

    つまり、彼女は、単に自分本位の暗黙の了解のうちに、彼の妻になったような錯覚を懐いていたのだと推察される。

    ところが、当の塩谷瞬は園山さんはあくまでもごく親しい友人の一人だという認識だったわけで(たぶん)、内心では薄々、「彼女、もしかしておれと結婚したいなんて思っているのかな?」との思いはあったにせよ、園山さんが自らの意思をはっきりと口に出さないために、なあなあの関係を続けるしか仕方がなかったのではないかと思われる。

    ところが、二股問題が浮上した途端、園山さんは自分が塩谷の本命ではなかったと知り、その醜態を払拭するために、色々な言い訳を用意する破目になったのである。

    「最初から、バカでアホな男だと知っていた」「私しかこの人を再生させるのは無理」などの言葉を並べたて、あくまでも自分は彼のことが見捨てられなかったわけで、彼に惚れていたわけではないと自身も周囲も納得させようとしているのである。

    しかし、それが彼女の本心ではないため、そんな言葉を百万遍重ねたところで、彼女の気持ちは納まらないはずなのだ。

    たった一言、「わたしは塩谷に騙された!本当は大好きだったのに、どうして、結婚相手がわたしじゃなかったの?」と、言えるならば、園山さんの気持ちもかなりすっきりするだろうに・・・と、番組視聴者は思いながら観ていたに違いない。

    これもまた、神経症の一種といえるようである。

    「ママ、あれ買って!」「パパ、あそこへ連れてって!」

    子供ならば、駄々をこねても周囲は許してくれるが、大人がそんなことは恥ずかしすぎて口が裂けても言えない。

    だから、自分の気持ちを納得させるための理屈を必死になって考える。

    「きみが前から欲しいと言っていたから買おうっていうんだ」「子供たちが行きたいって言うから仕方なしに行くんだよ」

    ところが、それを聞いた周囲や家族がそれに理解を示さず、

    「別に、わたしは欲しくないわ」「ぼくたち、勉強があるから行きたくない」

    などと言おうものなら、言い出した本人は引っ込みが付かなくなってしまい、「おれがこんなに親切に言っているのに、何だその態度は!」ということになってしまうのである。

    ただ一言、「本当はおれが欲しいんだよ」とか「おれが行きたいんだよ」と、素直に言えれば人生も楽なのだが、子供の頃から優等生の我慢強い子などという評価をもらって生きて来た人には、この本音がどうしても言えず、結果自分を偽り続けることになってしまうのだそうである。


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狭い世界しか見えない人

狭い世界しか見えない人face07




    人は、自分が生まれ育った環境だけが現実であるかのような錯覚をしがちである。

    まったく異なる環境に生きて来た人の話を聞いても、架空の出来事を聞かされているようにしか受け取れないという者は多い。

    これが芸能人とか政治家のように、一般人とはかけ離れている世界の人間の話なら、「そういうこともあるだろう」と、いう開放的な視野を持つことも出来るのだが、こと相手が自分とさほど変わらない境遇にいると思い込んでいる人間だった場合は、その想像力がほとんど働かなくなってしまうことがあるのだ。

    たとえば、数十年前まで自分の家の近くに住んでいた人の情報が新聞に掲載され、それが何と大会社の新社長に就任したというような内容だったとする。

    こんな時、人はまず、「そんなバカなことがあるわけがない。あんな奴が大会社の社長になんかなれるものか」と、考える。

    自分の中にあるその人物に関する情報は、ごく普通のしがない学生だったに過ぎないからだ。

    そこで、「きっと同姓同名の似たような誰かに決まっている」と、思い込もうとさえするのである。

    この他にも、こんな例もある。

    普通に家業を継いで小さな商店の経営者に納まった男性には、絵画などの芸術は決して日常的に身近にあるものではなかった。そのため、彼には絵の価値というものがさっぱり判らない。

    ある日、そんな彼の店へ、道を訊ねるために偶然にも有名な日本画家が立ち寄った。

    画家はある画廊へ自分の描いた絵を持って行くところだったので、道を訊く間その絵をそばの壁に立てかけておいた。すると、その店の主人はそれを見て、「おじさん、そんなところへ絵ぼっこ立てかけないでくれないか。邪魔でしょうがない」と、言ったのである。

    つまり、自分が生きて来た狭い世界しか知らない商店主にしてみれば、絵画などというものはどんな有名な画家が描いた作品でも、単なる「絵ぼっこ」にしか見えなかったのである。

    人は、とかく物事を自分だけの目線や尺度で考えたがるものだが、それがとんでもなく失礼なことであるという場合も多いのだ。

    ほとんど本を読まない人にとっては、作家などという仕事は子供のお話作り遊び程度にしか思えないだろうし、クラシック音楽など聴いたこともないという人にとっては、日本を代表するような名作曲家だってただの暇人としか認識し得ないのかもしれない。

    そういえばかつて、こんなエピソードを聞いたことがある。

    ある有名な時代劇の大スターが夜中に酔っぱらって自宅マンションの近くで大声をあげた。

    すると、突如、近くの安アパートの窓が開いたかと思うと、男性が一人顔を出して叫んだのだそうだ。

    「バカ野郎!いったい今何時だと思っているんだ?こっちは、お前みたいに毎日遊び呆けているわけじゃないんだ。睡眠妨害するんじゃねェ」

    その大スターはこれを聞いて思ったそうである。

    「おれの仕事など、テレビドラマや映画に興味のない人にしてみれば、単なる遊びに見えるんだろうな・・・」
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園山真希絵さんの言い分

園山真希絵さんの言い分diary





    昨夜、珍しく『中居正広の金曜日のスマたちへ』を観ていると、あの二股騒動の当事者である料理研究家の園山真希絵さんが出演していた。

    園山さんは、例の俳優・塩谷瞬との破局にいたる一連の騒動について、克明かつ正直に打ち明けていた。

    彼女の塩谷瞬に対する気持ちの中心には、常に、「わたし以外にこの人を再生させるのは無理」というフレーズがあったようである。

    園山さんと塩谷瞬の出会いは、彼女の経営する割烹料理屋に彼が食事をしに訪れたことから始まったようだが、再現VTRを観ながら、おそらく、一目ぼれしてしまったのは彼女の方なんだろうな・・・と、思った。

    何故なら、園山さんが「最初に彼と会った時の印象はあまり良くなかった」と、語っていたからである。

    最初にあまり良くない印象を与えられた方が、そのあとに好印象を得ると、相手に対する好感度が急上昇するというのは、心理学において当然のセオリーだからである。

    しかも、相手は人気上昇中のイケメン俳優である。

    たぶん、園山さんは、そのあとで食事をしている際の塩谷が本当においしそうに自分の料理を口に運んでくれる姿に、一気にノックアウトされてしまったに違いない。

    しかし、彼女の中のプライドが自身が塩谷に懐いている想いを『恋愛感情』と、決めつけることを許さなかった。

    そこで彼女が無意識のうちに編み出した方法が、「彼にはわたしが付いていなければダメ」という母性本能をカムフラージュに使った言い訳だったように思われる。

    では、塩谷瞬の方には彼女に対する恋愛感情があったのか?----と、考えると、あの再現VTRを見る限り、ほとんどなかったのではないかと想像されるのだ。

    何故なら、彼は、最初の頃に既に彼女が差し入れてくれていた高級弁当をあまり食べてはいなかったからである。

    本当ならば、園山さんは、この時点で彼の愛情がそれほど自分にはないことに気付くべきだったと思うのだが、「ここで彼を手放したくない」という感情の方が先行してしまったが故に、「彼を放っておけない」という正義感へと気持ちを無理やり置き換えて、彼の押しかけ彼女に徹することになったのではなかろうか。

    しかも、VTR中に塩谷の口から彼女の料理をほめる言葉は出て来ても、彼女自身をほめる言葉が一度も聞こえて来なかったのも、気になるところであった。

    園山さんは、彼を教育していたと言うが、それは正に教師と生徒の関係であり、いつしか塩谷にとっての彼女は、要は食べたい時においしい料理を作ってくれる「都合の良い年上の家政婦」となってしまっていたのかもしれない。

    家政婦に対して「愛している」とか「好きだ」というような言葉を言う男性はいない。

    加えて、気弱な性格の塩谷が、園山さんに本心を伝えることを恐れるがために、ますます彼女の誤解に拍車をかけてしまい、ついには親戚に彼を結婚相手と紹介して回る婚前旅行にまでエスカレートしてしまったのだろうと考える。

    そもそも最初から塩谷瞬には園山さんと結婚したいなどという気持ちは、さらさらなかったのではないだろうか。

    そして、「園山さんなら、ぼくが他の女性を結婚相手として紹介しても、最後には許して受け入れてくれるにちがいない」との甘えがあったものと想像される。

    一方、塩谷瞬の冨永愛さんへの気持ちは、間違いなくそこそこの恋愛感情だったのではないかと思われる。

    だからこそ、プロポーズもしたのだろう。

    どうも、色々なテレビ番組に出演するタレントや歌手などのこの問題に関する発言を聞いていると、塩谷瞬という男性は気弱に見える半面、なかなか打算的な側面もあるようだ。

    冨永さんへの愛情も、きっと彼女が世界的に有名なモデルで女優だということから、彼女と一緒になれば俳優としての地位も盤石なものになるはず----という打算がなかったとはいえないだろう。

    著名な若手料理研究家の夫というよりも、ずっと箔が付くに違いない。----未だ俳優としての足固めを模索しつつある塩谷にとって、そんなイメージが働いたとしても何ら不思議ではない。

    とはいえ、この園山さんのような、「いわゆる思い込み恋愛」のケースは、一歩間違えればストーカーにもなり兼ねないパターンでもある。

    だが、彼女の場合は、自身が有名人であったということが救いでもあった。

    塩谷瞬の二股が発覚して以来、連日マスコミが大騒ぎしたことと、冨永さんが実に割り切った対応をしたおかげで、園山さんの中にもある程度の整理が付いたものと思われる。

    しかし、司会の中居正広が番組の最後に指摘していたように、園山さんの中には、まだ塩谷に対する憎からぬ思いが少なからず残っているのも事実のようだ。

    一年ぐらい経ってから、園山さんと塩谷瞬の間に改めて恋愛関係が芽生えないとも限らない。

    こういう園山さんのような女性は意外に情が深いので、また今後塩谷瞬がひょっこり彼女の料理屋を訪れるようなことがあれば、そのままずるずると----というようなことになる可能性もなくはないのだ。

    ただし、そうなった時は、園山さん自身も塩谷の前で大人ぶったお釈迦様の真似ばかりしていないで、時にはやきもちを焼くくらいのわがままな一面を見せるなどした方が良いと思う。

    でも、おそらく尊厳に生きる彼女には、そういう自分の弱点を見せるような恥ずかしいことは、決して出来ないだろうけれど・・・。face06

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噂を信じやすい人とは・・・

噂を信じやすい人とは・・・senmonka




    専業主婦のAさんとBさんはカルチャースクールで知り合いそこそこの仲良しだったが、そんな二人の前にある時OLのCさんが現われて、今度は三人で食事をしたりショッピングを楽しんだりと親しく付き合うようになった。

    ところが、ある日を境に、何故かAさんがBさんを避けるようになる。

    戸惑うBさんは、直接そのわけをAさんに訊く勇気がないので、Cさんに相談を持ちかけた。

    すると、Cさんが言うには、「Aさんは、『最近のBさんは自分に隠し事をしているみたいで不愉快だ』と思っているらしい」とのことなので、驚いたBさんは、「そんなことはAさんの誤解だ。わたしはAさんに隠し事などしてはいないと伝えて欲しい」と、Cさんに頼んだ。
  
    ところが、その後もAさんがBさんを避ける態度は変わらず、ついに二人は仲たがいをすることに----。

    Bさんは、Aさんと顔を合わせるのが嫌になり、カルチャースクールもやめた。

    やがて、Cさんが家族の都合でその土地から引っ越して行くと、AさんとBさんは、偶然、街で一年ぶりに顔を合わせた。

    Bさんは、勇気を振り絞ってAさんに話しかけ、一年前にどうして自分を避けるようになったのかと、そのわけを質した。

    Aさんの答えは、「だって、Cさんが教えてくれたんだけれど、Bさんがわたしのことを隠し事の多い人だと言って嫌っているというから・・・。嫌われながら付き合うこともないだろうと思ったのよ」と、いうものだった。

    そこでAさんとBさんは、Cさんがそれぞれに言いふらした、まったくありもしない情報に踊らされて互いに嫌悪感を抱き合っていたということに気付いたのである。

    そして、Cさんが、そうやって二人の間を切り離し、自分だけがAさん、Bさん各々の相談相手となることに快感を感じていたのだということを知ったのだった。


    
    こうした「生じるはずのない誤解」が、噂とか伝聞によって生じることは、とかく日常の人間関係の中で時として起こり得ることである。

    では、何故、AさんもBさんも、Cさんが与える間違った情報を鵜呑みにしてしまったのであろうか?

    確かにAさんとBさんが、頻繁に情報交換をするほど親しい間柄ではなかったということもあるが、噂や伝聞では殊に肯定的な情報よりも否定的な情報の方が伝わりやすいという特徴があるのだという。

    伝わりやすいとは、信じられやすいということでもあるため、悪口や陰口の類ほど広まりやすいということにもなるのである。

    また、固定観念や先入観が強く、多数の意見に同調しやすい、また他人と自分を同一視しやすい人ほどこうした噂を信じやすいのだそうだ。

    AさんとBさんは同じカルチャースクールへ通う者同士でもあったため、共通の友人であるCさんの言葉を容易に信じてしまう同調化しやすい要素を多分に持っていたともいえるようである。

    もしも、AさんとBさんが、趣味も立場も異なる者同士であったならば、Cさんの言葉の受け取り方も微妙に違ったのではないかと思われる。

    いずれにせよ、噂や伝聞による情報はとかく歪曲化されたり誇張されやすいものであるから、「これは少し変だぞ」と、思った時は、やはり直接相手に真偽のほどを訊ねてみることが大切なように思われる。

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自分が嫌いな人は・・・

自分が嫌いな人は・・・art02




    自分が嫌いな人は、自分に自信がない人である。

    自分に自信がない人は、他人の好意を素直に受け入れられない人でもある。

    何故なら、そういう人は、「自分は他人から好かれるような人間ではないはずだ」と、思い込んでいるために、好意を寄せてくれる相手が自分をバカにしているようにしか思えないからである。

    つまり、他人を信じられない人でもあるのだ。

    そういう人が組織のトップに祭り上げられてしまった時、一体どうなるか?

    トップにいることが苦痛でたまらなくなるはずである。

    やがて、他人の好意や親切が逆に敵意にさえも感じられて来る。

    「自分は、トップになどふさわしくない」と、内心自覚しているために、辛くて苦しくてならないのだ。

    自分を持ち上げてくれる周囲が、本当は自分を嫌っているに違いないとも思うために、組織から孤立し、次第に自分自身の殻に閉じこもってしまうことになる。

    「トップは孤独だ」と、思ったとしたら、それは、自分自身がその地位にふさわしくない人間なのだと認めているようなものなのである。

    その反対に、盲目的に自分が大好きな人は、トップでいることが楽しくて快感で仕方がないという人である。

    こういう人はトップの重責など、正直どうでもいいと思っている。

    実に、「神輿は軽いに限る」の典型である。

    仕事は、皆、下々の者がやってくれるから、自分は常に高みの見物をしていればそれでいいと何も考えずにふんぞり返っているおめでたい人でもあるのだ。

    そして、こういう人は得てして周囲からは大して評価されない。

    自分が嫌いな人は、奥ゆかしさ故に周囲には好かれるが、その好意を信じられない。

    自分が大好きな人は、周囲からは愚か者呼ばわりされるが、そうした周囲の反応に気が向かない。

    要するに、トップに最もふさわしい人というのは、自分のことは好きだが、自分の欠点も熟知している人間で、周囲の人々の言葉にも素直に耳を傾けられる気持ちに余裕を持っている人物----と、いうことになるのではないだろうか。

    


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人が心身を病む時・・・

人が心身を病む時・・・icon19




    あなたが今している仕事は、本当に自分がしたいと思ってしているものなのだろうか?

    あなたが好きだと思っている人は、本当にあなた自身が好きだと思っている人なのだろうか?

    本当は、それは、あなた自身がやりたい仕事だったのではなく、誰か別の人がそれをして欲しいと願っていたことを、あなた自身がしたいことなのだと、思いをすり替えて行なっているのではないだろうか?

    そして、あなた自身はその人のことをそれほど好きではなかったのだが、あなたがその人を好きになることで、誰か他の人が喜ぶから、あなたも好きになったように錯覚しているだけなのではないだろうか?

    現代人が心や体を病むのは、時にこうした「両立し得ない納得」を強引に心の中に仕舞い込んでいる場合が多いという。

    つまり、「こんな仕事はやりたくない」と思いながら嫌々しているのではなく、本来は心が拒否しているにもかかわらず、誰かが喜ぶからという理由で、自身もやりたいからしているのだと信じて疑わないところに、こうした問題の根深さがあるのだそうだ。

    職場に行くと、何となく気持ちが落ち着かない。

    あの人と会ったあとは、いつも体調が悪くなる。

    そんなことが頻繁に起きる場合は、あなた自身が自分の本当の気持ちに気付いていない証拠なのかもしれないという。

    しかし、もしも本当に自分の思うがままに行動すれば、あなたに期待してくれている誰かを落胆させたり立腹させることにもなるので、それは出来ない。

    だから、仕事で失敗したり、相手に対して不満を感じたりした時、その怒りの矛先はどうしてもあなた自身に向いてしまうのである。

    意味の判らない苛立ちや憤慨は、本来ならばあなたをそんな風に思わせている他の誰かに向けなければならないものであるにもかかわらず、それに気が付かないあなたは、自分自身を責めてしまうのである。

    そのように、どうしても自分自身への苛立ちが治まらない時は、他に原因があるのではないかと考えてみるのも手だそうだ。

    意外に、その原因があなたの最も身近にいる家族である可能性も捨てきれないのだから・・・。




    

    

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(笑)の考察 

(笑)の考察icon25




    皆さんは、文章の終わりに(笑)を付けることがあるだろうか?

    この(笑)という書き方だが、一つ置き方を間違えると、とんでもなく相手の気分を害させてしまう言葉の凶器でもあるのだ。

    たとえば、今から二年ほど前の信濃毎日新聞の記事にこんなものがあった。

    あるフランス料理のシェフが書いた文章中のくだりである。

    「長野電鉄の須坂駅の構内に、地元の生産者のみなさんが持ち寄った新鮮な農産物を販売する、無人の青空市場風の売店を発見し思わず足を止めて、見入ってしまいました。----何といってもカボチャの種類の多さにびっくりしました。----黄色やオレンジのものまで色とりどり。形や大きさも、丸いものから長細いものまで、大小さまざまで----『ここはヨーロッパの市場かな?』と錯覚しそうでした(笑)。」

    この文章を読んだ時、わたしは、この(笑)の使い方に疑問を感じたのである。

    これは、ヨーロッパ各地を旅行したことのある著名な筆者が、須坂駅構内の無人青空市場風の売店に売られているカボチャの種類の豊富さに驚いた----ということなのであろうが、『ヨーロッパの市場かな?』と錯覚しそうになったというあとに(笑)を付けたことによって、「そんな訳ないでしょ。冗談だよ。たかだか田舎の無人販売所が、そんな風に見えるわけないだろう」と、いう筆者の高慢さが読みとれたのであった。

    もしも、そうした感想を聞けば、「そんなつもりはなかった」と、おそらく筆者は答えるだろうが、読み手の側に田舎コンプレックスがあったとすれば、そう受け取られても仕方がない書き方なのである。

    また、こういう例もある。

    相手に何かを頼もうとした文章のあとに(笑)を付けた場合である。

    「今度、〇〇をお願いしますね。(笑)」

    これも、相手の機嫌を損ねるには十分な書き方である。

    この(笑)は、相手に対しての親しみを表現していると書き手はいうだろうが、それほどお互いが親しい間柄ではない場合は、やはり、「〇〇をお願いするつもりなんかさらさらないよ。本気にするなよ、冗談なんだからさ」と、いう意味として相手には伝わる可能性が大なのだ。

    しかし、この(笑)という表記は、自虐的な文章には有効な書き方かもしれない。

    「この間、何もない道で突然転んで、子供に不思議な目で見られたよ。(笑)」

    こんな場合なら、読む側も素直に笑えるだろう。

    しかし、書く場所によっては、相手を軽蔑したり軽んじたりする文章となるために、読む側に多大な不快感を与えることにもなり兼ねないのである。

    たかが(笑)だが、されど(笑)でもあることを、忘れて欲しくはないものである。



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仲良しグループほど脆い

仲良しグループほど脆いvolunteer




    「〇〇ちゃんと遊ぶなら、あたしたちのグループには入れさせない!」

    小、中学生の仲良しグループには、よくある話である。

    そういう仲良しグループの結束はとても強い----と、その子供たちは思っている。

    こうした例は、何も子供たちだけのこととは限らない。大の大人同士の職場や地域社会などでも良く見られる光景だ。

    では、そうしたグループに属する人々は、本当に仲が良いのだろうか?

    その前に、どうして彼らはそうしたグループを作らねばならないのだろうか?

    専門家が説くには、彼らは決してお互いを好きなわけではなく、そのグループ内にいると自分に対する褒め言葉やお世辞を聞くことが出来て心地よいからだけに他ならない----と、いうことのようである。

    そうした共生関係は、真の友情とはまったく異質なものであり、お互いに対して上辺だけを気を使いながらそっと撫で合っているに過ぎない実に脆いものなのだということである。

    それが証拠に、そうしたグループ内に波風を立てることなど容易にできる。

    仲間の一人が、一言本音を漏らせばいいのである。

    本音で付き合うことを知らない彼らは、それだけでお互いに疑心暗鬼を募らせて、グループ内の結束は一気に崩壊する。

    もしも、彼らに真の友情や信頼関係があるのなら、お互いの欠点や意見の相違を忌憚なくぶつけ合ったところで、簡単にその結束が揺るぐはずはなく、また、グループ外の者たちと誰が付き合おうと、それに対して反感を持つ者などいないはずなのだ。

    共生関係にある仲間同士の世界はとにかく狭いのが普通で、お互いが神経症的依存関係にあるためその中の誰か一人が離脱しただけでも、グループはバランスを欠き崩壊してしまうのが落ちなのだそうである。

    本当に人間が好きならば、どんな人とでも満遍なく付き合えるはずであり、もしも相手と気が合わないならば自らが身を引けばいいだけのことである。

    つまり、何もグループや派閥を構成する必要などないのである。

    では、自分のグループをさらに拡大しようと触手を伸ばすような行動に出る者の心理状態とはどういうものなのだろうか?

    そういう人物こそ、実は共生関係なくしては生きられない特に他者への依存度の強い者だといえるそうで、万が一にも自分を裏切る仲間が出た時のストックのために常に仲間を増やしておかなければ気が気ではないという、幼児性を捨てきれずにいる可能性が高いのだそうである。



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こういう女性には要注意!

こういう女性には要注意!gourmet





    独身男性に訊きたいのだが、ここに二人の独身女性がいるとして、彼女たちを食事に誘ったとする。

    さて、あなたは、どちらの女性と付き合いたいと思うだろうか?

    

    あなたは、会社でも評判の美人OLのA子と二人でレストランへ食事に出かけた。

    あなたが「何食べたい?」と、彼女に訊く。すると、A子はこんな返事をする。

    「あなたの好きなものでいいわ。あなたと同じ物をお願いします」

    

    その翌日、今度は容姿はそこそこだがしっかり者で仕事も出来るB子と同じレストランで昼食をともにすることになった。

    あなたは「何食べようか?」と、B子に訊ねる。

    すると、B子はしばらくメニューを眺めていたが、やがてはっきりと、「ナポリタンにする。それと季節のサラダでいいわ」と、答えた。



    
    この二人の女性の返事の仕方の違いを見て、たいていの男性は、おそらくA子の方を奥ゆかしくて男性を立てることの出来る優しい女性のように思うだろう。

    その反対に自分の意見をしっかりと持っていて男性の前でも臆面なくそれを主張できるB子は、何だか女性にしては逞しすぎて、ややとっつきにくい感が否めないと思うのではないだろうか?


    しかし、心理学者の目線から見ると、この二人の女性のうちで男性を常に自分の目の届くところに置いておかなくては気が済まない依存性の高い女性は、間違いなくA子の方なのだそうである。

    しかも、A子はかなり嫉妬深い性格だともいえるのだそうで、「あなたの好きなものでいいわ」という、他人任せの答え方にこそ、その証拠は如実に表われているといえるのだそうだ。

    「あなたの好きな物でいいわ」ということは、裏を返せば、「あたしは、あなたの言うように従うから、だからあなたもわたしの方をずっと見ていてね。わたしに優しくして、わたしだけのあなたでいてね」ということに他ならないのだという。

    つまり、それは、「あなたは、わたしの言うことに従いなさい。わたしを裏切ったら承知しないから・・・」との無意識下の束縛であるともいえるのだそうだ。

    この手の女性を妻にしたら、結婚生活は大変なことになるかもしれないと想像されるそうで、まず妻は仕事をやめて専業主婦となるが、家事育児はそっちのけで夫がいなければ何も出来ないような自立心の欠如した女性の本性を現わすことさえもあり得るということである。

    いくら女性でも、自分の趣味趣向ぐらいは自分で決められることこそが、大人の証である----ということなのだ。

    自身の意見をしっかりと持っている女性を、とかく男性は生意気だとか気丈だとか言って敬遠する節がある。

    だが、いざ生活を共にする場合は、そういう自分の意思というものをちゃんと持っている女性こそが実際頼りになる存在なのではないだろうか?

    しかし、気を付けなければならないこともある。

    自分の意思を持っている大人の女性と、単なる我がまま女性を見分ける目も男性には必要だということである。

    自己主張をするのも時と場合によりけりで、いつもいつも自分の我を通してばかりで相手を立てる術を知らない女性は、ただ幼児性の強い癇癪持ちでしかない。

    それを可愛いと思ってしまう男性も中にはいるだろうが、そういう段階になればもはやマニアの域に入ってしまうので、わたしなどは何をか言わんや----である。




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宿泊客の秘密

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    守秘義務----を辞書で調べると、「公務員に課せられた職務上の秘密を守る義務」と、書かれている。

    でも、こうした職務上の秘密を守る責任は、何も公務員に限らず医師でも弁護士でも教師でも飲食店の経営者でも、仕事を持っている人は誰しもが負わねばならないものだと思う。

    しかし、そうした仕事上知り得た情報を、ふとしたことから単なる不注意で第三者に漏らしてしまい、周囲の人たちに大変な迷惑をかけてしまったという、ある女性の話を耳にした。

    それは、もう今から数十年も前の出来事である。

    地元のある旅館に、毎年夏になると避暑を兼ねて約一月ほども滞在する年配男性がいたそうだ。

    男性は、東京の大きな商店の経営者で、その旅館にはいつも奥さま連れでやって来ていたのだという。

    その年の夏も男性は奥さまとともに旅館に長逗留したのち、女将さんや仲居さんたちに丁寧にお礼を述べて帰って行った。

    その後、旅館の女将さんは、その男性宛てに改めてお礼状を出すことを思いついた。

    「いつも当館へのご宿泊を頂きまして、誠にありがとうございます。----奥さまにもよろしくお伝え下さいませ」

    ところが、後日、この手紙を受け取った男性から怒りの電話が旅館へかってきたそうで、そのわけを聞くと、男性が旅館へ連れて来ていたのは妻ではなく、実は愛人だったということが判ったのだった。

    しかも、女将さんが出した手紙が奥さまの目に触れて、すべてがばれてしまったということであった。

    そんなことがあってから、その男性は二度とその旅館を訪ねることはなかったのだそうである。

    まあ、これはかなり昔の話なので、悪気のない不注意とはいうものの、手紙が客の秘密を暴露するための手段に使われてしまった例だが、今ならさしずめブログやツイッター、メールがそうした守秘義務違反の媒体に使われる可能性もあるということになるだろう。

    ネット社会の現代においては、こうした守秘義務違反のような問題は、ますます日常的に注意する必要があるように思われる。

    つい何の気なしに書き込んだ他愛もない顧客情報が、後にとんでもない結果をもたらす可能性もあることを念頭に入れた上で、インターネットは慎重に使用しなければならないと、そんな世間話を聞きながら改めて考えた次第である。




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独身アラサー女子の悩み

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    30歳前後のいわゆる独身アラサー女子の大半が悩むこと。それは、

    「自分には、まだまだやりたいことがたくさんあるのに、どうして世間は結婚ばかりを焦らせるのか」

    ----だそうである。

    家族も親戚も、寄るとさわるとその話になるそうで----。

    「同級生の〇〇ちゃんは、結婚して子供も生まれたっていうのに、うちの子ときたら全然結婚に興味がなくて・・・」

    「〇〇さんちの〇〇くんなんてどうかしら?一応、勤めている会社も一流だし・・・」

    本人の気持ちなどお構いなしに、勝手な結婚話に花を咲かせて楽しんでいる様子を見るにつけても、「人を何だと思っているんだ。犬や猫じゃないんだぞ!」と、立腹する女性も少なからずいるはずだという。

    また、それと同時に、彼女たちには「自分がいつまで経ってもこの家にいるのが、そんなに世間体が悪いのか?さっさと片付けというつもりなのか?」----などの家族不信も生まれて来るそうだ。

    しかも、

    「結婚なんかしたくない!」

    と言えば、本心ではなく強がりだと勝手に解釈され、ますます可哀そうな女子だと誤解される。

    アラサーといっても、今の時代はそう結婚に焦る必要もないとは思うのだが、もう20代前半のような華やかな若さはないという思い込みもあって、彼女たちの気持ちは実に複雑である。

    ところが、年齢を重ねるうちに、女性の男性に対する理想はますます高くなるのが普通で、「教養も経済力もある程度持つ自分が、なまじっかな男性で手を打てるはずがないのだ」とのプライドが、さらに結婚に対するハードルを高くさせるのだともいわれる。

    では、彼女たちの相手となるべき男性たちはどう考えているのかといえば、はっきりいって、「出来すぎる女性は敷居が高い」ということになるらしい。

    今の独身男性たちは、とかく自分に自信がない者が多いということで、自分と同年代の女性は自分よりも何もかもが上のように思えて、正直怖いのだという。

    気兼ねなく男の強さや賢さをアピール出来るのは、やはり自分よりも世間慣れしていない若い女性ということになるのだろう。

    つまり、アラサーという年齢は、もっとも恋愛や結婚を考える上で難しく辛い年頃ということになるのかもしれない。

    だからといって、そう悲観ばかりすることもない。

    そんな彼女たちでも40歳まで独身を通せば、世の中は俄然自由になるはずだ。

    40歳を過ぎた女性に結婚を促すような言葉をかける人はほとんどいなくなるからだ。

    要するに、そこまで独身を通した女性は、結婚したいが出来なかったいわゆる「売れ残り」ではなく、独身はその人の主義主張ということになり、自ら選んだ「積極的非婚」になるわけだという。

    そういえば、この間のテレビ番組でも女性、男性問わず、かなり独身者が増えたと報じていた。

    自分に自信があり過ぎる女性と、自信喪失気味の男性が、現代社会の婚活ミスマッチを生み出しているのかもしれない。



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男の逃げ口上

男の逃げ口上face07




    心理学者が説くには、男性が女性に対して、「きみとはもう別れたい」と、思った時の逃げ口上にはいくつかのパターンがあるということだ。

    まずは、自罰的言い訳----「ぼくは、きみにふさわしい男じゃない。きみのことを大切に思うからこそ、別れるんだ」

    これは、もっとも女性を傷付けまいとする優しい言い訳であるが、この言葉の裏を読めば、「心底大切に思う女性から、あえて別れようとする男などいるわけない」と、いうことになる。

    「ぼくは、きみにふさわしい男じゃない」ということの本心は、「きみは、ぼくにふさわしい女性じゃない」と、いうことだと気付くべきである----と、学者は言うのである。

    次に、自己保身的言い訳----「今度、こっちから連絡するよ。そのうちに飯でも食おう」

    「今度、こっちから連絡するよ」は、「きみから連絡することはやめて欲しい。気が向いたらおれの方からメールするけど、たぶん、そういう時はもう来ないよ」という意味であり、「そのうちに----」とは、日にちを決めていないことで「今後一生ご飯を共にすることはない」という意味なのだ。

    そして、他罰的言い訳----「実は、母がきみのことをあまり良く思っていないんだ。ぼくはきみが大好きなんだけれど・・・。でも結婚というのは、家族の祝福が大事だろう?無理して一緒になっても、あとで困るのはきみだから・・・」

    つまり、「悪いのはすべて母親であり、被害者になるのはきみだ」という、我関せず型の逃げ口上である。

    また、音信不通型言い訳----これは文字通りの音信不通で、彼女の送るメールや電話は一切拒否。「さよなら」の一言も告げないままに、いつの間にか姿を消すという去り方である。

    まあ、この他にもさまざまな男性からの別れ方があるのだが、とにもかくにも、男性側がこれまでの具体的会話をあいまいな内容にシフトし始めたら、それは女性から興味がなくなって来ているか、もともと大して興味がなかったかの意味だと理解するべきだそうである。

    男性が未婚だろうが既婚だろうが、はたまたバツイチだろうが、本当に好きな女性が現われれば、決して上記のような台詞は口にしないものだそうで、人の好き嫌いは時が経てば何とかなるなどという甘いものではない----と、いうのが学者の理論のようだ。

    とはいえ、すべてがこうした理屈で割り切れるものではないだろうけれど・・・ね。

    一応、ご参考までに----。face06




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花束をもらう夢を見たら・・・

花束をもらう夢を見たら・・・health



    今日は、朝から何となくバタバタしていました。

    そんなわけで、昼食も夕飯もコンビニ弁当で済ませてしまいました。(塩分、ちょっと多めに摂った・・・かも)

    でも、最近のコンビニ弁当は、以前に比べてかなりおいしくなったように思いますね。face01

    


    ところで、あなたは夢の中で誰かに花や花束をもらった----ということはないだろうか?

    しかも、異性からのプレゼントで。

    これは、夢占いからすると、もしもその異性が知り合いだった時は、その人があなたに少なからず好意を持っている暗示だそうである。

    また、その異性が知らない人だったとしても、それはあなたにもうすぐラブチャンスが巡って来るかもしれないという意味だとか・・・。

    もらった花束が美しければ美しいほど、そのチャンスは大きくなるそうである。

    ただ、その花束がドライフラワーや造花だった場合は、かなり意味合いが変わって来る。

    新しい恋愛に踏み出す勇気が出ないとか、心の何処かで過去の恋人を引きずっているということになるらしい。

    そして、もしも新しい恋を手に入れても、それはあまり長続きしないということの暗示でもあるそうだ。

    因みに、知り合いの同性から枯れたりしおれた花を贈られた夢は、その人があなたに敵意を懐いている証拠でもあるそうなので、要注意だという。

    また、逆にあなたが誰かに花や花束をプレゼントするような夢は、どんな意味を持つのだろうか?

    その時、あなたの気持ちがウキウキしているとか、穏やかならば、それは何らかの形で友人や知り合いとこれからも良い関係を築ける証だそうだが、もしも、あなたがその花をいやいや相手にくれるような夢ならば、それはあなたの大切な物が他人に奪われる暗示でもあるそうなので、最近急に接近して来たな・・・と、思う相手には極力用心した方が良いということのようだ。

    もしも、夢の中に花や花束が出て来たら、その花自体にも強いメッセージ性が隠れているらしいので、注意して覚えておくことも近い将来の参考になるかもしれないということである。


 


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