川上犬の交配問題・・・・・444
~ 今 日 の 雑 感 ~
川上犬の交配問題
ところで、川上犬が純血種ではないかもしれないというニュースが巷を騒がせているそうだが、わたしに言わせれば、犬が純血だろうが雑種だろうが、そんなものどっちでもいいではないかということである。
どんなに純血種でも駄犬はいるし、お里などまったく判らない雑種でも、名犬は多い。
犬猫の血統なんて、所詮は、人間の見栄や虚栄心を満たすものにすぎず、雑種が繁殖することが自然界に多大な損失を与える訳でもあるまい。
だいいち、「犬」という存在も、人間がオオカミから交配を重ねて生みだした言わばミュータントではないか。
犬でも猫でも鳥でも、生命として可愛がり尊重してやればいいのである。純血の川上犬じゃなければいけないなど、おこがましいにもほどがある。
だったら、あんたらは、本当に純粋な大和民族だと言えるのか?
大陸からやって来た渡来人の血は一滴も入っていないと断言できるのか?自分の先祖のことは棚に上げて、犬猫にばかり血統書をつける意味が判らない!
今、飼っている川上犬が、純血だろうがもどきだろうが、可愛ければそれでいいではないか!何の不満があるのだ?
わたしは、どだい、犬猫を金銭を出してやり取りするということ自体が気に入らない。
ペットショップへ行って「この子は可愛い」「この子は賢そうだ」などと、選ぶことがそもそも生命を冒とくしているというものである。
だから、最近は、自分の子供でさえも気に入らなければ虐待したり、殺したりしてしまう親が増えているのだ。この論理は、決して飛躍でもなんでもない。
人工授精で他人の子供がお腹にいることが判って、医師に損害賠償を求めたり、中絶してしまう者だっているではないか。これもまったく同じ理屈から発している問題なのである。
外国には、犬は譲渡されるものであって自分で買うものではないのが常識だというところもある。しかも、子犬から飼うのではなく、ほとんどが成犬をもらうのだという。
犬が欲しい人は、引っ越しで飼えなくなったり、飼い主が高齢で、散歩を満足にさせてやれなくなったなど、さまざまな理由で手放さざるを得なくなった犬を、もらうのだそうである。
また、自分の家の敷地の庭に犬が遊べるだけのスペースがない人には、犬を飼う資格を与えないという国もあるそうだ。
これまで日本は、少し犬猫を繁殖させ過ぎてきたきらいがある。毎日何十匹もの引き取り手のない犬や猫が保健所で殺されて行くことを思えば、血統書がどうのなどといっていられないはずなのである。
どうしても、犬が飼いたいのなら、保健所の動物保護施設から一頭でも引き取って来て欲しいと思うのは、わたしだけではないはずだ。
<今日のおまけ>
わたしは、犬を飼ってはいない。
しかし、犬も猫も大好きである。どんなに根性の悪い犬でも、十分もあれば従順に変えさせる自信もある。
近所の狂暴極まりないシェパードを、目力だけで黙らせることにも成功した。
だが、自分で犬を飼う気にはなれない。それは、今のわたしの体力では、犬に満足な生活環境を保障してやれないからでもある。
犬や猫を飼うということは、命を育むということである。決して、アクセサリーを身につけるということではない。
最近は、それを履き違えている者が多すぎるのだ。
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