思春期の正義感・・・・・609

ちよみ

2010年06月16日 19:46

~ 今 日 の 雑 感 ~


思春期の正義感



    先日、中学三年生の男子生徒が、友人がいじめに遭っているのを止めることが出来なかったという理由で自殺したというニュースを新聞で読んだ。

    学校側も、保護者たちも、警察でさえ「そんな理由で自殺するなど考えられない。何か他にももっと重大な悩みがあったはずだ」と、困惑しているという話だが、わたしは、充分にあり得ることだと考える。

    これは、わたしが確か小学生の頃に担任の先生から聞いた話だが、太平洋戦争が始まった時分、当時のある中学校で教師が男子生徒たちを前に楠正成の小説を読み聞かせたというのである。

    それから、しばらくして、その中の男子生徒の一人が、ただ単に楠正成の生涯に共感したという理由だけで、自殺したというのであった。

    おそらく、男子生徒の気持ちは、楠正成の後を追うといったものではなかったかと、その教師は話していた。

    自分が十代の頃のことを思い出してみれば判るだろうが、とにかくすべてに対して潔癖主義ということはなかっただろうか?一転の曇りや汚点も許せない。

    それは、自分自身に対してでもあり、また他人に対してでもある。

    善は善、悪は悪-----。彼らの心の中に、グレーゾーンは存在しないのである。

    だからこそ、太平洋戦争当時も十四、五のまだほんの子供たちが硫黄島で手榴弾自決するなどという悲劇が起きたのである。彼らの純粋で清らかな正義感を、大人たちが利用したのだった。

    沖縄の女子挺身隊の少女たちの惨劇も、正に、大人たちによって演出されたものとしか言いようがないと、わたしは思うのだ。

    この「いじめを止められなくてごめんなさい」と、素直な正義感から自殺した男子生徒も、おそらくはそういう彼らと同じ気持ちだったのではないだろうか?

    「いじめは悪いことです。周りの人たちも、見て見ぬふりをするのではなく、積極的にいじめを止めるように努力しましょう」

    もしも、大人たちがこうした教育を彼ら生徒にしていたとしたら、それを自分自身の義務だと感じてしまう子供も中にはいるかもしれない。

    特に、責任感の強い生徒は、そう思い詰めてしまうこともあるだろう。

    子供たちの素直な心をどのように成長させて行くべきか、親や教師たちにまた一つ新たな問題が課せられたといっても過言ではないのかもしれない。
<今日のおまけ>

    今日は、午前中は土砂降りだったが、午後になって晴れた。

    何だか、既に梅雨の末期といった天候だなァ・・・・。

    午後、ガスの点検だといって長野都市ガスの人が来た。

    「もう、ガス台の周りを片付けなけりゃならないじゃないの!疲れることさせないでよ!」

    母親は、超キゲンが悪くなった。

    


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