おかしなCM・・・・・1035
~ 今 日 の 雑 感 ~
おかしなCM
放送される度にいつも首を傾げてしまうテレビCMがある。
某黒酢のCMだ。
そのCMには、一人のベテラン女優が出て、こんな台詞を言う。
「わたし、悔しいの。どうしたら、〇〇の黒酢の良さが皆に伝わるんだろうか・・・・?」
この台詞を聞くたびに、そこまで言う必要があるのだろうか?----と、疑問を感じてしまうのだ。
こう言っては何だが、ただの黒酢のCMである。
効果のある人にとってはありがたい黒酢なのだと思うが、それを「悔しいの」とまで表現するのは、どういうことなのか?
何をそんなに悔しがる必要があるのだろう?
しかも、その女優は、本当に悔しそうに言うのではなく、正に笑顔なのだ。
その笑顔と、「悔しい」という言葉のあまりのギャップに、こちらは異様ささえも感じてしまうのである。
人が普通「悔しい」という言葉を使う時は、絶対に負けられない試合をイージーミスで落とした時とか、楽勝だと思い込んでいた試験が不合格だったとか、信頼していた友人に裏切られたとか、あらぬ疑いをかけられたとか、とにかく、人生において相当なインパクトをもたらす出来事に遭遇した場合に限るのではないか----と、思うのだ。
それを、黒酢の効能が皆に判ってもらえないことぐらいで、「悔しい」とまで言うのか?----と、いうことなのである。
確かに、これを生産している側のメーカーの人が、自分たちが心血を注いで開発した製品の良さが判ってもらえないというのなら、「悔しい」気持ちもあるだろう。
しかし、それを言ってしまっては、製品の良さを判らない消費者が悪いということになってしまう。
だから、あえて女優の口を借りて言わせているのだろうが、如何せん、言い方があまりに軽すぎる。
彼女の演技からは、その悔しさがまったく伝わって来ないのだ。
だから、ここは、「わたし、とても残念に思うのね。こんなに素晴らしい黒酢なんだから、もっと皆さんに知ってもらいたいわ」ぐらいの言い方で抑えておいた方がむしろ真実味があるのではないだろうか?
「悔しいの」----では、あまりにわざとらしい。
それに、ニコニコ笑って言うのも何だかなァ・・・・と、思ってしまう。
CMが視聴者に好印象を与えるか否かは、こんなちょっとしたことでも左右されるものなんですよね。
<今日のおまけ>
大災害のあとは、自殺する人が多くなる----と、いう話を聞いたことがあります。
人の死は、どうやら連鎖作用を起こすもののようですね。
特に若い人は純粋な分、終末思想にハマりやすいのだそうです。
何となしの焦りが、そういう切迫感に拍車をかけるのかもしれません。
「自分だけが取り残されるような気がして、不安になる」と、若い頃は思いがちですが、何から取り残されるのでしょうか?
結婚から?それとも、出世から?結婚すれば、それが人生のゴール?出世って、何処までのことを言うの?
その答えが具体的に出る人はあまりいない筈です。
答えが出ないことに焦ってみても始まりません。
焦って良いのは、明日までにやっておかなければならない仕事だけですよ。
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