秋は何かとせわしない
秋は何かとせわしない
日暮れが早くなったせいか、秋は何かと気がせいてならない。
近所の人たちが共同浴場へ来る時間帯も、夏に比べて一時間ほど早まった。
「午後は、ゆっくりテレビを観ている時間もない」
と、話す女性もいて、何となく周囲に焦燥感が漂い始めた。
ところで、例のお見合い番組だけれど、アメリカ人男性の理想の女性像と、日本人男性の理想の女性像の違いに、かなりのギャップがあることが分かって面白かった。
沖縄で行なわれた集団お見合いに参加したアメリカ人男性が、結婚相手に求めることは、まず、その女性が如何に自立しているかということだった。
自分が将来どうなりたいかという目標を持ち、それに向かって頑張る意志のある女性に惹かれると、男性はいう。
男性には、写真撮影の趣味があり、写真集も出版している。
最初の頃は、カメラという共通の趣味がある女性を第一候補に選んでいたが、その女性が、「専業主婦でもいいです」と、発言した途端、別の補助教員女性に乗り換えてしまった。
補助教員女性は、「結婚しても、この島で教師を続けたい」と、話していたことで、向上心のある人だとの印象を残したようだ。
しかし、日本人男性たちは、むしろ、結婚相手には家業を手伝ってもらいたいとか、家のことをやってもらいたいという思いが強いようだった。
たとえ、妻といえども自立した責任ある一人の人間であると考えるアメリカ人的発想と、妻は自分と一心同体の守るべき家族と考える日本人的発想。
自分というものをしっかりと持っている女性が好みのアメリカ人青年と、如何なる困難にぶつかっても、あなたについて行きます的奥ゆかしさを持つ女性を求める日本人青年たち。
だが、どちらのタイプの男性にも共通することは、「積極的な自己PRは好ましく思えても、見え見えの玉の輿願望は敬遠される」という事実。
こうしたお見合いを制するために女性陣に必要なことは、相手の男性の話を真摯に聞く耳と、ブレない思いを伝えるための誠意ある話術のようである。
<今日のおまけ>
追記を書くスペースが元の状態に戻ったようだ。
これまでのあれは、どういう趣向だったのだろうか?
ともあれ、戻ってよかった。
ところで、「おもてなし」という言葉に惑わされてはいけないという意見がある。
つまり、それが誰に対しての「おもてなし」になるのかということだ。
見解が両極端の人がいたとして、そのどちらの利益を優先するかという場面に遭遇した時、果たして「おもてなし」は有効かという指摘である。
片方の肩を持てば、もう一方を差別し、もてなしたことにならないというのである。
なかなか、興味深い考え方だと思う。
「おもてなし」とは、奥が深い。
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