< 冬 の 夜 長 の 物 語 >
しんしんと雪が降っています。
白く深い闇の底から延々と、音もなく降りそそいで来る雪を見ていると、かつて山ノ内町の地元のお年寄りから聞いた何とも奇妙な物語を思い出します。
今夜は、そんなお話を二つご紹介しましょう。
き つ ね
あれは、戦後の昭和二十年代、北信濃の片田舎にはまだ自動車などは数えるほどしか走っておらず、たまに長野電鉄のボンネット・バスが、チェーンの音を響かせながら志賀高原へと続く雪深いわだちの坂道を、ゆっくりとのぼっていた時代。
このあたりの人々の移動手段は、もっぱら徒歩という、何とものんびりとした頃のお話です。
やはり、今夜のように雪がしんしんと降り続き、道路につもった雪も、すでに大人の膝丈あたりまでに達していた夜の八時過ぎ、一人若い男が中野町(現在の中野市)にある親戚の家で夕飯をごちそうになった後、平穏村(ひらおむら・現在の山ノ内町)の自宅へと帰ろうとしていました。
「今晩は、こんな大雪だし、家(ここ)へ泊っていけばいい。おめェの寝る部屋も布団も、母ちゃんに用意させるからさ」
親戚の者たちは、口々に若者を引き留めましたが、
「大丈夫だ。酒も入(へえ)っているから、温(のく)てやさ。このまま一気に突っ走れば、すぐ着くから心配いらね」
若者は答えると、ウールのオーバーを頭からすっぽりかぶり、雪の中を帰路についたのだそうです。
兵隊帰りの若者には、雪の夜道など決して怖いものではありません。鼻歌まじりのほろ酔いかげんで、深くつもった雪をかき分けかき分け、ようやく、平穏村の夜間瀬川にかかる橋のたもとまでたどりつくと、
「ここを渡れば、家はすぐ先だ。大したこたァなかったな」
そんな独り言をつぶやきながら、橋を渡り始めたのでした。
しかし、橋を渡り終えたとき、辺りの風景が、何かおかしいのです。
「あれ?-----ここは、さっき渡り始めたところじゃねェか?」
奇妙に思った若者は、
「酔っ払っちまったかな?-----いま、橋を渡ったような気がしたんだが、気のせいだったか・・・」
気を取り直して、もう一度渡り始めました。橋の欄干を確かめながら、足早に渡り終えて、顔を上げると、
「--------!?なんでだ?また、同じ場所じゃねェか!」
若者は、きみが悪くなって、今度は、目をつぶって走るように渡りました。そして、恐る恐る目を開けると、
「うわァ!やっぱり、また元に戻っている!」
心底恐ろしくなった若者は、一度来た道を引き返し、その夜はやはり親戚の家で泊めてもらったのだそうです。
これのことは、のちのち人々の噂にものぼり、
「ありゃァ、キツネに化やかされたに違いない」
と、言われたとか・・・・。
こうした不思議な現象を、このあたりの人々は、今でも「夜間瀬川原のきつね」と、呼ぶそうです。
訪 問 者
信州の北部、山ノ内町の志賀高原へ続く国道の入口ともいう地区に、上林温泉と呼ばれる一帯があります。最近は、「スノー・モンキー」の写真でも世界的に名前の通った「地獄谷野猿公苑」を、背後に控える美しい林道沿いに、数件の旅館やホテル、博物館などが建つ、観光名所の一つです。
しかし、まだ、昭和三十年代の頃は、避暑に訪れる文化人や外国人が長逗留する、ひなびた温泉郷の一つでした。
そんな、ある寒い冬の夜、夕方から降り始めた雪はしだいに本降りとなり、風も加わって吹雪に近い状態となっていました。上林温泉にある一軒の小さな旅館では、この日の泊り客は一人もなく、午後六時を過ぎた頃には、若い女将さんが、玄関の硝子戸を閉めて鍵をかけ、一日の仕事を終えようとしていました。
ところが、女将さんが帳場で台帳の整理をしていた時のこと、にわかに、玄関の硝子戸をガタガタと、たたく音がしました。
「こんな吹雪の中を、いったい誰が来たんだろう?」
訝しがりながらも女将さんが玄関の引き戸を開けると、そこには、薄手のコートらしきものを着て、真っ白に雪をかぶった中年の男性が一人立っていたのです。その男性は、年に二、三度この旅館に湯治に訪れる常連客でした。
「あれまァ、こんな雪の中をよく来なさった。さあさあ、早く座敷へ上ってください。お寒かったでしょう?」
女将さんはその男性を急いで奥の座敷へ通すと、囲炉裏のそばへ座らせました。
「お身体の方はよろしいんですか?この前ご予約をいただのに、体調が良くないからと、奥様から予約の取り消しのお電話があったばかりなんですけど・・・・」
女将が気遣うと、男性は寂しそうな笑みを浮かべ、
「あれは女房の気の回しすぎなんですよ。今日は、どうしてもこの旅館の名物の、女将さんの手作りの『おやき』が食べたくなって、つい来てしまいました」
「それはそれは、ありがとうございます。では、さっそくこしらえますから、存分に召し上がってくださいね」
それから、女将さんは急いで、『おやき』作りに取り掛かり、囲炉裏につるしたホウロクで焼いたあつあつのところを、男性の前に出しました。
「ありがとう・・・・」
男性は、それを手に取ると、そっと一口かじり、突然涙をポロポロと、こぼしたのでした。驚く女将さんに、男性は、
「やっと思いがかないました・・・・」
そう言うなり、一気に『おやき』を二つ平らげると、
「では、今夜はこれで帰ります」
と、腰を上げたので、
「こんな吹雪の中をお帰りになるなんて、無茶ですよ。一晩だけでもお泊りになった方が・・・・。バスも、もう湯田中駅までの最終が出てしまっていますよ」
女将さんは、懸命に引き留めましたが、男性は、明日仕事があるのでと、聞きません。それでは、今日のお代は結構ですから、ハイヤーを呼びましょうと、電話をかけ、運転手には上林温泉の入口あたりで待っていてくれるように頼みました。
男性は、丁寧に礼を言うと、女将さんに見送られながらあたり一面真っ白な雪の中を去って行きました。
すると、しばらくして旅館にハイヤーの運転手が雪だらけになりながら入ってきたのです。
「どうしたの、観光さん(ハイヤー会社の通称)?お客さんは、とっくにここを出て行ったんだけど・・・」
「いつまで待っていても、上林温泉入口へお客さんが現れないから、まだ旅館かと思って来てみたんだよ。まさか、道に迷ったんじゃないだろうね?」
「そんなこと・・・・」
もしや、遭難-------?おかみさんの頭の中をいやな予感が駆け巡った時でした。突然、帳場の電話のベルが鳴り、女将さんが受話器を取ってみると、相手は、今帰ったばかりの男性客の奥さんでした。
「〇〇旅館さんですか?わたし、〇〇の家内です。いつも主人がお世話になりまして、ありがとうございました。主人、たった今、病院で息を引き取りました。生前、〇〇旅館さんには、礼を言っておいてくれと申しておりましたので、こうしてご連絡を差し上げた訳でして・・・・」
「-------------!!」
女将さんの受話器を握る手が、思わず震えました。そして、相手の話に耳を傾けながら、何気なく、そこから見える座敷の、さっき男性客の食べていた『おやき』をのせた皿に目をやります。と、空になっていたはずの皿の上に、まだ『おやき』が二つ手つかずのままに残されているではありませんか。電話の声は、さらにこう続けました。
「実は、主人、亡くなる直前まで、そちらの『おやき』をもう一遍だけ食べたかったなァと、申しておりまして・・・。それで、わたし、近いうちにそちらさまへ伺わせていただきたいと思いますので、その節は、主人の大好きだった『おやき』を、作って頂きたいのですが、よろしくお願いいたします」
女将さんは、その言葉が終らぬうちに、受話器を持ったまま、とうとうその場にへたり込んでしまったのだそうです。
如何でしたか?------雪の夜には、時に思わぬ不思議と出会うことがあるそうです。あなたのお隣にいる人は、本当に、ご本人でしょうか?明日、お出かけから戻られる時は、決して、ご油断なさらぬように・・・・・。何処かで、キツネが見ているかもしれません。
では、おやすみなさいませ。
引き続き、「地域医療最前線~七人の外科医~」を、お読みください。
*訂正*
これのことは、------- このことは、 の間違いです。
この前ご予約をいただのに、------- この前ご予約をいただいたのに、 の間違いです。