一本松の幽霊・・・・・82

ちよみ

2009年07月03日 12:11

< 不 思 議 な 話 >


一本松の幽霊


    わたしの母方の実家は、地元でも少しは名の通った日本そば屋です。

    まだ、終戦間もない頃、食糧のない時代にもかかわらず、わたしの祖父は、配給の食料や、祖母の着物を農家に持って行って代わりに分けてもらったジャガイモや、トウモロコシの粉などで、すいとんなどを作り、それでも、何とか商売を続けていました。

    そのわずかな食べ物を求めて、店の前には長い列が出来、その列に並ぶことすら出来ない持ち合わせのない人たちは、夜になると、店の裏手にある勝手口へ来ては、売れ残りの蒸かしイモなどを、ただでもらって行ったそうです。その中には、昼間は闇物資を取り締まっていた、若い警察官の姿もあり、「仕事がら、闇米には手を出せず、子供が腹を空かして困っているので、ほんの一つでもいいから、芋を分けてもらいたい」と、涙を流していたそうです。

    そんな様子を見かねて、祖母は、「あんたにやるんじゃないよ。子供にくれるんだからね」------そう言って、蒸かしイモと岩塩を少し紙にくるんで、その警察官に持たせたこともあったそうです。

    そのそば屋のすぐ隣に、母親とまだ幼い二人の男の子が住む家がありました。その家の父親は、既に戦死し、若い母親は、子供を抱えて必死で他人の家の畑の耕作などを手伝いながら、細々とした給金をもらい、その子たちを育てていました。

    わたしの祖父母は、その家族があまりに気の毒で、時々、その家に売れ残りのうどんの玉や、野菜の煮物などを運んでは、「代金はいらないから、子供にいっぱい食べさせてやりなさい」と、渡していたそうです。ところが、しばらくして、その母親が、過労から身体を壊し、寝込む日が多くなりました。

    子供たちの世話が出来なくなった母親が、わたしの祖父母に、子供たちにご飯だけでも食べさせてやって欲しいと、頼むので、もともと子だくさんだった祖父母は、別に二人増えたからといっても何のことはないと、二人の息子を家に呼び、朝飯を食べさせ、学校には祖父母の家から通わせ、夕飯を食べさせて、自分の家へ帰すという生活を送らせました。

    しかし、そのうちに子供たちの母親の容態はますます悪くなり、地元の開業医の治療もかいなく、とうとう三十半ばの若さで亡くなってしまったのです。お葬式が終わり、引き取り手もなく途方に暮れる子供たちの将来を心配した祖父母は、彼ら二人を手元に引き取り、せめて中学を卒業するまではこの家の子供として育てようと、決めたのです。

    そんな、ある日の夜のこと、祖母が家の外へ出た時、近くの畑の真ん中にある一本の松の木の下に、何やらぼうっと薄ぼんやり青白く光る物があることに気付きました。その光の大きさは、ちょうど人間の身体ほどで、よく良く見ると、それは、一人の女性の姿だったそうです。

    祖母は、ひどく驚きましたが、さらに間近によって見詰めると、そこに立つ女性は、紛れもなく、数日前に亡くなった二人の息子の母親だったのです。母親は、祖母の方へ顔を向けると、悲しそうな顔をして、黙ったまま何度も何度も深々とお辞儀をするので、祖母は、これは、息子たちのことを頼むと言いたいに相違ないと感じ、

    「判っているよ。子供たちのことは、ちゃんと面倒見るから、心配しないでいいよ」

    と、声をかけたところ、母親は、嬉しそうに微笑むと、すっとその場から消えてしまったのだそうです。

    その後、二人の息子たちは、中学を卒業したのちに、それぞれ会社へ就職し、結婚したそうです。

     
    ***  写真は、イヤリングの片方です。バルタン星人ではありません。

<今日のおまけ>

    昨日、中野市で買い物をしていたら、午後五時半ごろ、屋外スピーカーによる市内放送があり、中野市消防の名前を騙った者が、消火器を売り歩いているので、特に、学校関係者は、気を付けて下さいと、言っていました。

    そして、スーパーでは、関西商人の計略にまんまとはまって、関西では半夏生の食習慣であるらしい、タコを買ってしまいました。気付いたら、タコ飯までカゴに入れていました。orz
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