文章から読みとる力・・・・・359
~ 今 日 の 雑 感 ~
文章から読みとる力
携帯電話のメールなどの短文交流が日常化している現代人は、とかく、文章から相手の気持ちを読みとることが苦手だと言われて久しい。
文章の中にどれほど絵文字を使っても、それで、書き手の気持ちがすべて表すことが出来る訳ではないのである。
特に、書き言葉には、どうしても個人の能力の差が現われるために、的確に自分の気持ちを伝えきれない部分も出てくる。
本当は、そんなことを言いたい訳ではないのに、どうして、判ってもらえないのか?などということも良く聞く話である。
しかも、相手の顔を思い浮かべながら読む文章と、まったく顔を知らない相手の文章を読むというのでは、自ずから文章に対する反応も変わって来ることは否めない。
たとえば、よく顔を見知っている相手が書いた砕け言葉は、「あ~、また、こいつふざけてら」ぐらいに感じても、見ず知らずの相手が書いたタメ口は、単に暴言としか受け取れないのと同じで、
文字の上でのコミュニケーションには、現実生活の何倍もの想像力が必要となるのである。
しかし、近頃の人たちの想像力は、読書を趣味としていた時代の人々に比べて極端に衰えているため、書かれた言葉を文字の通りにしか把握できず、その裏にある相手の真意が読みとれないのである。
そのために、こちらが意図しないところでキレたり、悪意を育ててしまったりと、無用のトラブルを起こすもとになったりもするのである。また、逆に、相手が善意で書き込んだ言葉でも、そのたびに、敵意をあらわにする文章を返してくるという癖の人もいる。
それが、ある時は、上から目線のからかい言葉であったり、常に反対意見ばかりを連ねてくる人さえいるのである。
反対意見を述べれば、自分は、理知的に見えるだろうと、思っているのかもしれないが、それは、実に大人げない勘違いとしか言いようがない。
大人ならば、相手が思い違いなどをしないように、むしろ、噛み砕いたやさしい言葉で丁寧に返答するべきなのである。
フリージャーナリストの内山二郎さん(66)は、
「若者は、独りで外国旅行に行くべきだ」と、説いている。
日本人の友人ばかりの中で、黙っていても相手に気持ちが通じるものだと思う安直な習慣を、一度リセットし、自分の言葉できっちりと気持ちを伝えることが出来なければ、生き残れない環境に身を投じてみることが、コミュニケーション能力を磨くためには大事だと、言うのである。
自分の感情ばかりを一方的に相手に押し付けるのではなく、他者の感情にも配慮を怠らない。-----そんな大人の対応が出来てこそ、人は人としての価値があるのではないだろうか。
現代人は、とかく、嫌なら嫌と突っぱねておけばそれでいいという自己本位型の短絡主義に走る傾向が強いが、そういう人間関係がいったいいつまで続けられると思うのであろうか?(ただ、わたしの場合は、体調のこともあるので、出来るだけ『負』のエネルギーを発散する者には近付かないようにしている)
若くて健康なうちは、それでもすむであろうが、高齢者となり、足腰が弱くなった時にも、果たしてそういうことが言い続けられるであろうか?嫌でも、笑顔を作り、介護者のお世話にならなければならない時は必ず来るのである。
将来、誰にも相手にされない孤独な老人にならないためにも、修行だと思って、たとえ携帯メールの世界でも、相手の文章の裏を想像できる力を養うべきではないだろうか。
<今日のおまけ>
わたしのような、ある意味、隠遁生活を送っている人間は、巷で色々と活躍している人たちを見ると、まず思うことが、
「体力、あるなァ・・・・。あんな持久力が何処にあるんだろう?」
と、いうことである。だって、みんな、長時間立ち続けることが出来るんだから、驚異的だ。上半身は重くないのだろうか?
立ちながら、別のことに意識が向けられるのだから、すごい。わたしなんか、立っていれば、いつも、頭の中は身体を直立させていることでいっぱいである。人の話など、とても多くは耳に入らない。
だから、最近は、人の話がみんな嘘っぽく聞こえて仕方がないのだ。
真剣な顔をして如何にも相手の気持ちが判るような話し方をしていても、人生の本質を真に悟っている人は、おそらく100人中1人ぐらいである。あとは、皆、似非伝道師。
そんなものである。
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