『坂の上の暗雲』・・・・・362
~ 今 日 の 雑 感 ~
『坂の上の暗雲』
信濃毎日新聞の「今日の視角」というコラム欄に、野田正彰さんの『坂の上の黒雲』というタイトルの文章が掲載されていた。
野田さんの文章は、いつも、辛口で面白いのだが、これは、「なるぼど」と、頷けるところが多い記事であった。
わたしは、最近、NHKがどうして
『龍馬伝』や
『坂の上の雲』などのどちらかというと国粋主義的なドラマを打ち出して来たのかがよく判らず、この両ドラマとも、未だに一度も観てはいない。
しかしながら、この理由が、野田さんのコラムを読んで、はっきりとして来た。
野田さんは、書いている。
司馬遼太郎氏は、自書『坂の上の雲』について、「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品であります。うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね」と、語っていたのだという。
しかも、NHKテレビのETV8 (1986年5月)においてだという。
にもかかわらず、そのNHKが、今回の放映に踏み切ったのである。作品の舞台となる地元松山市では、11月29日の第一回放送を前にして、市教育長が、私立幼稚園の園児、小、中学校の児童生徒に視聴を呼び掛け、さらに観たあとで家族で語り合うことを求める文書4万2千枚を配布したのだそうである。
「明治はよかった。日清、日露戦争期の日本人は国際法を守り素晴らしかった」
こうした日露戦争以前の、「明治の軍人のありようこそが日本人の美学である」というような誤った考え方、いわゆる「司馬史観」が、子供たちに植え付けられようとしていると、野田さんは警戒するのである。
しかし、松山、今治の市民は、この考え方に断固として異論を唱えているという。
日本軍は、日清戦争に先立ち、朝鮮民衆を数多く殺害し、朝鮮王宮を占拠し、清国へ戦争を仕掛けたこと。日清戦争時、旅順市民を大量虐殺したこと。----これらは、すべて、防衛戦争などではなく、朝鮮民主化のために計画された戦争であったと、数々の文献をあげて伝えてきたのだという。
そして、愛媛の市民団体は、NHKに対して、こういう歴史的事実を踏まえて、何故、今、「坂の上の雲」なのかと、質問状を出しているという。
しかし、NHKは、 これには答えず、「これまでにないスケールのドラマとして描き、現代の日本人に勇気と示唆を与えるものにしたい」と、述べたにとどまったそうである。
野田さんは、これについても、「いつ、わたしたちが、公共放送に『勇気と示唆』を与えるように頼んだのか?」と、苦言を呈している。
不況下で自信を失っている現代だからこそ、日清日露の戦争時の日本人の憂国の美学を、もう一度思い出せというつもりなのであろうか?軍服を着て、国を憂えることが、それほど美しいことなのであろうか?
坂本龍馬の『龍馬伝』にしてもそうである。薩摩と長州を結び付け、徳川幕府を倒したことで、日本は、本当に幸せな国となったのであろうか?わたしには、単に、戦争の仕方を覚え、力を諸外国に鼓舞して見せたいという思い上がりもはなはだしい国になり下がっただけのように思うのである。
つまり、坂本龍馬は、開国をして海外との貿易を発展させたいという自身の野望のために、善良な日本国民を戦いの犠牲にした張本人なのである。
司馬遼太郎氏も言っていた。「小説は、嘘を書くものである」と。男たちの自己満足のドラマも、虚構であるからこそ、ロマンティックなのである。
それを如何にも本当のことのように信じ、それが日本人の理想像なのであると、刷り込ませようとするNHKの姑息なやり方には、野田さんならずとも呆れ返るしかない。
『坂の上の雲』ならぬ、坂の上には暗雲が垂れこめている可能性もあるのだ。
よって、これらのドラマを喜んで観ている人々にも、わたしは、声を大にして言いたい。
「あなたの観ている物語は、あくまでも、作り話なのですから、決して本気にしてはいけませんよ」と-----。
<今日のおまけ>
ブログとは、実に着脱の激しいメディアだといえる。
しかし、その所謂、「かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の水の流れの中にも、時折、小さな洲が出来ることがある。
その洲に、いつしか草が生え、葦が芽を吹き、やがて、小鳥も集うようになる。
そんな思いがけない出会いに恵まれることもまた、ブログの面白さであろう。
そして、ブログを書いている時のわたしの鼻歌テーマソングは、NHK大河ドラマ「新選組!」の主題歌だ。
NHK大河には、時々、記憶に残る名テーマ曲が現われる。「赤穂浪士」「風と雲と虹と」、そして、この「新選組!」だ。
そして、これが、甥っ子二人に贈るバレンタイン・チョコレート。
今年は、ちょっと、高級志向。一人一箱ずつ買ったので、味わって、食べなさい。
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