大学時代の友人はいいなァ・・・・・363
~ 今 日 の 雑 感 ~
大学時代の友人はいいなァ・・・
当時、わたしは、自分の症状がよく飲み込めず、手術をしなければならない病気だということは判っていたものの、手術後にどのような状態になるのかも具体的に判らなかったため、とにかく、知識がないことには何も決められないと思い、大学時代からの友人に電話をかけた。
友人のご主人は医師なので、彼女は、すぐにご主人に連絡を取ってくれて、ご主人は、仕事から帰って来られるなり、即、わたしに連絡をよこして下さった。
わたしは、自分の症状を話し、手術をした後、身体が元に戻らなくなってしまうのではないかと、不安を打ち明けると、友人のご主人は、「大丈夫だよ。予後は悪くないというから、手術しちゃいなよ」と、諭してくださった。そして、「もし、もっと詳しく知りたいなら、ほら、ちよみさんも覚えていると思うけれど、(大学時代からぼくの友人だった)〇〇が都内の☓☓病院にいるから、彼に話してやるよ」と、親切にアドバイスまでして下さったのだ。
わたしは、そこまで迷惑をかけては申し訳ないと思い、それは遠慮したが、その一言で、手術をしようと決心が出来た。
この時ほど、持つべきものは友達だということを、痛感したことはなかった。
大学時代の友人たちとは、何でも本音で話せる。
ブログを書いていて嫌な経験をしたり、むかっ腹の立つことがあると、即行、愚痴って憂さを晴らす友人もいる。
彼女たちは、決して、人ごとのような返事はしない。自分のことのように受け止めて、また、自分の悩みも素直に打ち明けてくれる。大学を卒業してから、もう、かなりの時間が経つが、話をする時は、その時間のギャップは全くなくなるのだ。
そして、また、大学時代に知り合った他の大学の元学生たちとも、同じように時間を飛び越える会話が可能なのである。
これが、学生時代を共有した者たちの、言わば、ある種の特権なのかもしれない。
結婚していても、独身でも、お互いに話をする時の呼び方は、決まって、学生当時のニックネームになってしまう。
しかし、不思議なことに、高校の同窓生たちとでは、この感覚は生まれないのである。
「大学時代は、18歳から22歳のこの間に経験することが大事なのだ」と、言った人がいたが、人生には、その経験をするべき時というものが、絶対にあると思う。
大学なんて、いつ出ても一緒じゃないか-----と、考えがちであるが、それは、違うとわたしは思う。確かに、学問を究めることに年齢制限はないだろう。しかし、感性の最も充実した時期に、体験することと、そうでないのとでは、気持ちの深層でつながることは難しいのではなかろうか。
真の友人を作るためには、間違いなく時期というものがあると、わたしは、考えるのである。
<今日のおまけ>
民主党が政権をとってから、国会中継が面白い。特に、民主党の若手がいい。小沢チルドレンなどと呼ばれてはいるが、なかなかみんなそれなりにしたたかで、腹の中では、本心から小沢幹事長に傾倒している議員など数えるほどしかいないことがよく判る。
しがらみが少ないということは、強みでもある。それにしても、自民党の質問は、何ともお粗末の一語に尽きる。
鳩山総理が、中学生の頃にブリジストンタイヤの総帥である祖父から生前贈与された財産が、あまりに巨額過ぎて、75%の税金がかかっているにもかかわらず、あれは多すぎだと、いうような質問をしていたが、「あんた、今更それを訊いてどうするの?」と、言いたい。
中学生に、祖父から受けた財産の贈与税に関する知識がある訳がないではないか。羨ましい気持ちは判るが、世界が違うのだ。どうせ、自民党は民主党を攻めるのなら、ターゲットは小沢幹事長一人に絞るべきである。
二兎追うものは一兎をも得ず-----自民党も、詰めが甘いぞ!
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