~ 今 日 の 雑 感~
共同浴場をなめるなよ!(ーー;)
共同浴場へ入っていると、時々、「何なんだ、こいつら?」と、思うような場面に出くわすことがある。
温泉場で生まれ育った人間は、だいたいが熱湯(あつゆ)好きである。相当お湯が熱くても、平気な顔で入っているものである。しかも、そういう熱さでないと、入った気がしないという人が多い。
そんな訳であるから、温泉場育ちに長風呂はいない。たいてい、20分ほどの入浴で上がって行くのが普通である。
しかし、温泉に慣れていない人たちは、ぬるいお湯にじっくりとつかり、小一時間も湯船に入ったり出たりを繰り返しているものだ。そんな両極端な者たちが一緒になると、決まって一悶着起きることになる。
温泉場以外から入りに来た観光客などは、まず、湯船の温度に驚き、
「なに、この熱いの!?水、入れよう」と、いうことになる。まあ、少しぐらいの水は、温泉場育ちも許しはするが、これがいつまでたっても水を入れ続けているとなると、
「ちょっと、あんた、いい加減にしなさいよ!せっかくの熱いお湯が台無しじゃないの。ここは、あんたの家の風呂じゃないんだよ。少しは、遠慮ってものを考えなさいよ」
と、一発ガツンとやりこめられてしまうのである。
また、あまりの大人数で入ってきても、近所の人たちは露骨に迷惑顔をする。
「一度にこんなに大勢入って来てどうする気?ここは、あんたらの貸し切りじゃないんだよ」
と、まあ、こんな具合に叱られるのが落ちだが、まだ叱るくらいなら親切な方で、もっとシビアな人は、黙って湯船に入って行き、水を出している水道をいきなり止めてしまい、浴槽のお湯を熱湯のように熱くして、誰も入れないほどにしてしまうようなこともするのである。
わたしも、つい最近共同浴場で、呆れかえるような見知らぬ親子連れと一緒に入浴する破目になってしまった。
わたしと同じ女湯には、その家族のお母さんと思える女性がいて、男湯の方には、父親と子供の三人が入っている様子であった。そのうちに、男湯の方で、一人の子供が叫んだ。
「お母さん、そっちにシャンプーある?あったら、投げて!」
投げる?----投げるって、この仕切りの壁越しに投げるってことか?あんな大きなシャンプー容器を?
「うん、あるわよ。お母さんが使ってから、放ってあげるわね」
バカ親!何言っているんだ!?もしも、投げ上げ損ねて仕切り壁のガラスにでもぶつかったら、どういうことになると思っているんだ!?
そこでわたしは、その母親に、言った。
「シャンプー容器を投げるのはやめて下さい。危険ですから。そういうことは、共同浴場ではやらないでください」
すると、母親は、驚いた様子で、
「大丈夫ですよ。いつもやっていることですから、うまく投げますよ」
「そういうことではなく、他に入っている人に失礼だと言っているんです。いつもやっているって、あなた、何処の人なんですか?この近所の人ではないですよね?」
すると、わたしとその女性の他に入浴していたもう一人の近所の主婦も、
「ガラスが割れたら、困るからね」
と、一言苦言を呈してくれた。母親は、何とも面白くないような表情になり、男湯の子供に向かって、叫ぶ。
「シャンプー投げるの出来ないから、そっちにある石鹸で髪を洗いなさい!」
「え~~~~~?」
子供は、不満そうな声をあげたが、こればかりは、我慢してもらうしかない。
共同浴場は、家庭風呂ではない。親子連れだろうが、友人同士だろうが、我が物顔で入浴されてはたまらない。
共同浴場を、なめるなよ!
<今日のおまけ>
わたしは、さりげない同調性というものが好きである。
たとえば、中学生の時の北アルプス登山で、宿泊した山荘の部屋の窓から外の風景を眺めながら、わたしは家から持参したソプラノ・リコーダーを、退屈しのぎに吹いていた。すると、何処からか、それに合わせるように、遠くの部屋の誰かが、やはりリコーダーで答えて来たのである。
そして、いつしか、顔も見た訳ではない相手と、同じ曲を合奏したのであった。
しかし、その合奏の相手が誰なのか、わたしは未だに知らない。おそらく、同じ中学の男子の一人であろうと思うのだが、別に誰かなどということを確かめようともしなかった。
何も知らなくても、お互いにしっくりと同調することが出来る。そんなさりげない雰囲気が、とても落ち着くのである。