~ 今 日 の 雑 感 ~
ブログ記事の責任とは?
ブログの記事に対して、「ブロガーは責任を持て」という人がいる。
ブログの責任とは、そもそも何なのであろうか?ブログなどというものは、大概において無責任なルールで成り立つようなものである。だいいち、書いている本人が、実名すら公表する必要がないのである。性別だって、事実かどうか知れたものではない。
それにもかかわらず、書いている本文には真実のみを書かねばならないとでもいうのであろうか?自分の年齢をごまかしてはいけないのであろうか?実際は持っていない物の話を、空想で書いてはいけないのであろうか?
自分が現在使っている薬の名前を間違えて書いてもいけないのだろうか?飼っている犬を、猫と書いてもいけないのだろうか?昨日の出来事を、一昨日としてはいけないのだろうか?
国政に関する情報には、徹底的に調査をしたうえで、実際にその場所まで足を運んだり、インターネットの検索で詳細にデータ収集をした場合でなくては、ブログに記事を書いてはいけないのであろうか?
個人の考えや意見を尊重して欲しいといいながら、こちらが書いた記事は尊重せずともいいのであろうか?
責任とは、一体誰に対する責任なのだろうか?
こちらは、政治評論家のプロではないし、この記事を書いて金銭を頂いている訳でもない。公共の電波を使い、情報を発信している訳ではないし、一個人の素人の提言に、いちいち責任が生じるなど、考えたこともないし、そんなことはあってはならないことである。
「お前が言いだしたのだから、絶対に実行しろよ」と、こんなプレッシャーをかけられれば、誰がブログなど書くであろうか。
しかしながら、もしも、こうしてブログを書いている人間が、政府関係者や政治家、また、その道のプロフェッショナルだというのなら、話は別である。何故なら、彼らは、国民の税金からお給料を頂いたり、それが職業であるからだ。ブログを書くにも、ある程度の専門知識や確実な数字も必要だろう。言葉を実行に移す責任もあるだろう。
しかし、わたしのブログに関しては、そのいずれにも該当しない。
それに、一つの物事というものは、当事者には大きな問題でも、第三者には、そこまで深刻な問題とは受け止められないこともあるのだ。かつての戦争を体験して辛酸の限りを舐めつくして来たわたしの父親世代に言わせれば、今の国内情勢など、どんな問題が持ち上がっても、春風のようなものだそうである。
目の前で脳みそを吹き飛ばされて死んでいく友達の身体を踏み越えても生きねばならなかった世代の人間の感覚からすれば、たぶんそんなものなのだろう。
若い人たちは、一つの物事をすさまじい大事としてとらえるきらいがある。また、そういう感性が人間形成にとってとても大切なことは承知している。それでも、人間にとっては、感覚の順番というものが個人個人違うのである。
それこそ、北朝鮮問題が最も重要だと思う人もいれば、明日の朝食のおかずの方が最重要課題だと思う人もいるだろう。
責任を持てという言葉も、その人間が何について最も責任を感じているかで、大きさが変わるのだ。
いくらブログといえども、読者を欺き金銭などを詐取する意図で、まったくの嘘八百を書き連ねることは、確かに問題があるかもしれないが、それ以外の内容であれば、そこに多少の事実誤認や意識の違いが生じてもやむを得ないのが道理である。
もしも、まったくまっさらな真実のみを書かねばならないとなれば、ブログなど怖くて誰も書きはしない。
しかも、インターネットで調べたことが、すべて正しいこととも言えない。人は、社会的立場や、読んだ文献、育った環境などなど、諸々のことで意見も異なるものである。自分が調べたことが真実で、他の人のいうことが真実でないということを言い出せば、それこそ、個人の気持ちをないがしろにしているということに他ならない。
自分の体験や知識を押し出して、他人の意見を批判することは簡単だが、それよりもまず、他人には他人の考え方があると理解することの方を、もっと勉強するべきではないだろうか。
ただ、それでも読者に対して責任が生じるとすれば、それは、いったんブログに書いた記事の内容を気が変わったからと言って、安易に変更したり削除したりする行為である。そこに、賛同のコメントが入っていたりする時などは、なおのことである。
それこそ、読者に対する裏切り行為となるからである。
一度書いたことにこそ、それを貫く責任が生じると、わたしは思うのである。
もう一度言うが、意見には、間違いも正解もありはしないのである。
「自分は、こう思う」という意見を書くことはいいが、「あなたもこう思え」と、記事を書いたブロガーに強要することは、最も避けなければならない非礼だと考える。
<今日のおまけ>
今日、うちの近くのベンチに、この辺ではあまり見かけない70歳ぐらいの男性が、ぼんやりと腰をかけていた。他には、連れらしい人の姿もない。
不思議に思った近所の主婦が、声をかけたが、返事がおかしい。自分の年を、40歳だといい、名前も満足に覚えてはいないようである。何処から来て、何処へ行くのかも判らないらしい。
どうも、認知症ではないかということで、主婦は、警察官を呼んで、その男性を保護してもらった。
男性の身元は、判ったのであろうか?