延々としゃべり続ける人の心理・・・・・583

ちよみ

2010年06月03日 21:12

~ 今 日 の 雑 感 ~


延々としゃべり続ける人の心理



    
    政治家同士の討論会などをテレビで観ていると、相手が話をしていることもまったくお構いなく、延々と自分の主張を話し続ける人がいる。

    あれは、実に見苦しいものだが、特にそう言うしゃべり方をする政治家は、左翼系統的な党に属しているように思う。

    討論と演説の場を混同しているといえるのである。

    他の出席者たちが自分の話を聞いていようがいまいが、そんなことはまったく関係なく、自分の主張だけをしまくる。

    議論や話し合いというものは、相手の意見にも耳を傾けてこそ成り立つものだということは、小学生でも知っていることなのに、まるで、時間が足りないとばかりに、他の人が指摘を入れる間など与えてやるものかとばかりに、機関銃のようにまくし立てるのだ。

    観ていてとても不愉快で、イライラして来る。

    テレビ画面に向かって、「早く黙れ!!」と、叫びそうになるほど、ムカつく。

    おそらくは、所属する政党の方針で、「これだけのことは絶対に最後まで言ってこい」と、指令を受けて参加しているのかもしれないが、あの話し方を聞いていれば、「決して、お前の所などに票を入れてやるものか」と、思ってしまう。

    正しく、逆効果になることが何故判らないのかと思うのだ。

    政治家に限らず、一般人にもこのような話し方をする人は多い。

    いや、最近とみに多くなったように感じる。

    話したいのは、自分のことだけ。他人の話など聞くのは時間の無駄だとばかりに、延々としゃべる続ける中高年層のおばさんたちの増えたこと。

    相手に一言をはさむ余地さえ与えるものかとばかりに、お互いにベラベラとまくし立てるおかげで、周りで聞いている者たちは、いったい二人が何の話をしているのかも判らない。

    普通、会話というものは、「この間こういうことがあってね」とくれば、「そうなの。知らなかったわ」というようなキャッチボールが当たり前なのであるが、彼女たちの話し方は、「この間こういうことがあってね」と一人が話すと、「わたしにもこんなことがあってね」と、もう一人が返し、「こんなことになったのよ」と、一人が結末を教えても、もう一人は、「そんなことどうでもいいけれどさ」と、さらに自分の話を続けてしまうのである。

    これは、ただ単に自分の主張だけを聞いて欲しいと思う心理とも違い、自分の意見が相手から評価されることを恐れる気持ちが働いているせいもあるのだという。

    言葉の間を開けて、相手のつけいる隙を見せた途端、どんな反撃に遭うか判らないという不安感が、彼女たちに息継ぎさえも許さないようなしゃべり方をさせるのだそうだ。

    自分は、いつも正しい。「それは違うよ」なんて、まかり間違っても指摘されたくはない。

    家の中では、夫の理不尽な言動に、毎日「はいはい」と、従順に返事をして来たのだから、外で話をする時ぐらいは、「わたしの話だけを聞きなさいよ!」の苛立ちが、おばさんたちの一方通行、猪突猛進話術に拍車をかけているのだと思うのである。

    

<今日のおまけ>

    「ゲゲゲの女房」-----NHKの朝の連続ドラマとしては、久々のヒットだと、インターネットの世界でも評価が高いそうです。

    わたしも、ここ十数年、NHKの朝ドラは観ていませんでしたが、これは、面白いと思って時々観ています。

    ちょうど、戦後の日本にまだご近所同士の人情や友情などがしっかりと生きていた時代のお話ですから、そういうものを懐かしんだり、ささやかだけれど本来はこうあるべきだと思う日本人の理想の生き方が、そこには描かれているからではないかと思います。

    松坂慶子扮する古本屋さんの女将さんが、「おれのことなど放っておいてくれ」と、頑なに拒む少年に向かって言う言葉に、「そんなこと言わないでよ。心配させてよ」というものがありましたが、かつての日本には、正にこの言葉通り、「他人を心配する自由」が、ちゃんと生きていたのです。

    今の世の中は、そんな当たり前の自由すら奪われていて、「心配した奴が最後まで責任取れよ」などという、風潮がはびこってから、皆、煩わしいことには見て見ぬふりをするようになってしまい、育児放棄や虐待で見殺しにされる子供まで出て来たのです。

    「ゲゲゲ-----」は、そんな殺伐たる現代に、かつて世間に当たり前のようにあった温かい人情を思い出させるドラマなのだと思います。
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