ごめんなさいの言えない人・・・・・581

ちよみ

2010年06月02日 19:47

~ 今 日 の 雑 感 ~



ごめんなさいの言えない人




    日本には、昔から『お詫びの美徳』という文化がある。

    これは、きわめて特殊な考え方であり、他の外国ではおそらく想像も出来ないような感性であると言えるが、武士道の『切腹』や負け試合で頭を丸めるなどという行為は、正にこれにあたるものである。

    やくざの世界には、指を詰めるということなどもあるようで、自分が悪かったとか、負けたと思った時は、その事実を正直に受け止め、潔く非を認めることが、すなわち美しいこと、男らしいことという感覚が備わった民族が日本人なのである。

    そのために、日本語には、お詫びを表現する言葉が他国に比べて多いそうである。

    「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」「お許しください」「ご容赦ください」「謝罪します」「謝意を表します」「すまん」「悪い」「失敬」「失礼」「お詫びいたします」

    まだまだ、あるだろう。

    しかし、最近、こういう文化を是としない、日本人がもの凄く増えて来たように思う。

    自分が悪いと思っても、決して「ごめんなさい」を言わない。詫びるどころか、自分の方を肯定さえする鉄面皮たちのいかに多いことか・・・・。

    また、そういう恥知らずの卑怯者に限って、おもての顔は究極の善人面を見せているのである。

    そういう人間は、女性に多いのもこの国の特徴のようで、また、周囲が平気でそういう女たちを容認しているのだから始末が悪いのだ。

    意地っ張りで、腹黒い、目立ちたがり屋の女たちが、この国をダメにしていると言っても過言ではない。

    自分の子供が公共の乗り物の中で他の乗客に迷惑をかけても、その子を叱るどころか、

    「おっかないおじちゃんに『めっ』されたら困るよ」
  
    こんな風に他人に罪をなすりつけるような子育てをする、最低な人間たちである。

    まともに謝罪の出来ない自分本位の女たちの増殖が、ますます日本をダメにして行くように思うのは、わたしだけではないはずである。

    彼女たちは、自分を悪く言う人間はすべて敵であり、排除しなければ気が済まないとさえ思っている。

    たった一言「ごめんなさい」と、言えば、すべては丸く納まるはずにもかかわらず、意地を張って言わないがために、自らの墓穴をどんどん大きくしていくのである。

    自分の価値を貶めて、友人をなくしながらも、それでも頑なに自らは正しいと言い続ける実に虚しい人間たちと言わざるを得ないのだ。

    そういう女性、あなたの周りにもいませんか?
<今日のおまけ>

    わたしの周囲には、物事を常に否定的に見る人たちがとても多い。

    一言で言って田舎者のひがみであると思うが、信州人には、こういう傾向の考え方をする人間は比較的たくさんいるように思われる。

    わたし自身もこの傾向がかなり強い人間である。

    すべての物事を斜に見ることが大好きなのである。

    可哀そうなことを素直に可哀そうだとは認識出来ない。

    たとえば、以前新聞の投書欄に病気の60代女性の、もう命が長くないと宣告されたので、死ぬ前にもう一度オーロラを見てみたいと北欧へ旅行をしたという文章が掲載されていた。

    これを読んだ途端、わたしは思った。「もう一度ということは、それ以前にも行ったことがあった訳だ。そんな贅沢が出来る人なんだから、もういつ死んでもいいじゃないの。普通の人が出来もしないことが出来るのだから、もう充分でしょ」

    わたしは、贅沢を贅沢と思わない、そしてそのことをあたかも自慢するかのごとく吹聴する人間には鬼にもなるのだ。


    ところで、次の総理大臣は、いったい誰になるんでしょうね?

    それにしても、前にも書いたように、小沢さんてどうしてこれほどまでに長期安定が嫌なのでしょうか?

    細川内閣の時もそうでしたが、結局、小沢さんが飽きてつぶしたようなものです。つまり、彼は、総理大臣になりたいのですが、常に金銭がらみの黒い噂が付きまとうため、自分は絶対に総理にはなれないことが判っているのでしょう。

    だから、せっかく作った政権も途中で面白くなくなってしまい、ブチ壊さずにおれないという、実に厄介な性格なのです。

    しかも、典型的な血液型B型人間だそうですから、気分屋で、飽き症な上に、トップに立たなくては気が済まないという面倒くさいところもあるのです。

    次の総理が誰になっても、小沢色を排除できなければ、参議院選挙は民主大敗になりかねませんね。


    
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