スーパーは社交場・・・・・1055
~ 今 日 の 雑 感 ~
スーパーは、社交場
諏訪市のJR上諏訪駅前にあった「まるみつ百貨店」が閉店したことで、2月21日から始まった買い物弱者対策である「駅前緊急買い物サポートタクシー」の利用者が、ほとんど伸びず、サービスを見直すことになったというニュースを観た。
日常の生活用品や食料品を「まるみつ百貨店」で買い求めていた高齢者をいわゆる買い物難民にしないための措置であったが、何故、高齢者はこのサービスを利用しなかったのであろうか?
サポートタクシーに乗って遠くのスーパーまで買い物に行かねばならないほどは、困っていなかった----と、いうことなのか?
それとも、サポートタクシーとはいえ、自分の好きな時間に乗り降り出来ないという不便さゆえの敬遠だったのだろうか?
理由は色々考えられるが、そんな中、もっとも大きな理由の一つは、高齢者は変化を嫌う----と、いうことだったように思う。
そもそも、高齢者にとっての買い物とは何なのか?
日常生活に必要な食品や雑貨を買うことが目的だけではない。定期的に通うことが出来る主婦感覚を忘れないようにする場所であり、なおかつ話し相手を見付けるための手段なのである。
病院が高齢者のサロン化していると言われて久しいが、スーパーマーケットや百貨店もやはり同じような役割を持っているのである。
いつもほぼ同じ時間にそこへ行くことで、いつもの顔ぶれに会える。
買い物は言わば付録で、店内の椅子に腰かけ、午後のひと時を気の置けない友だちと楽しくおしゃべりする。
それが、本来の目的なのである。
高齢者がよく言う言葉に、「夕方は寂しい」と、いうものがあるが、この感覚は、若いうちにはほとんど理解出来ないもので、高齢者がよく飴をなめるのも、この寂しさを紛らわせるためなのだそうだ。
飴をなめている時だけは、かつて母親に甘えた頃の子供時代のように安心感を保てるのだという。
つまり、高齢者にとって買い物の場は、単に消費の場ではなく、親しい友人たちと出会える社交場なのである。
その意味を汲まず、高齢者を「買い物弱者」の一言で片付けようとした市側の読み違いが、このサポートタクシーの利用の低調に深く関係しているのではないかと考える。
高齢者たちを本当に救いたいと考えるならば、「まるみつ百貨店」のあった場所に新たな買い物の拠点を作ることが必要だ。
この間のニュースでは、旧「まるみつ百貨店」の元従業員が、駅前に新たなスーパーマーケットを開店したという話題を取り上げていた。
まだ、小規模な店舗で客のニーズにすべて応えることは出来ないそうだが、それでも高齢者たちの心のよりどころにはなるはずである。
<今日のおまけ>
今日は、午後から暑くなりましたね。
最近、ママ友地獄ならぬ、パパ友地獄という言葉が流行り始めているそうですね。
パパ友が集まっての飲み会に誘ってもらえなかったとか、パパ友たちの話の輪に加われず悩んでいるとか・・・。
ママもパパも同じように子供と接する今の子育てが、昔では考えられない現象を引き起こしているようです。
また、ご近所からシャクヤクの花を頂きました。
さっそく、花瓶へ活けました。
体力がなかった時は、花を頂いても花瓶に水を入れて持ち上げることも出来なかったので、申し訳ないとは思いつつも、頂いたままバケツに挿しておくしかなかったのですが、近頃は体力もまあまあ回復してきましたので、ちゃんと茎に鋏を入れ、形を整えて活けられるようになりました。
これでも、一応、華道・小原流の教授免許取得者ですから----ね。
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