大人の中の幼児性

ちよみ

2012年10月09日 11:30

大人の中の幼児性



    道路を歩いていたグループのうちの男性3人をひき殺そうとしたとして、埼玉県警所沢署は8日、殺人未遂容疑で所沢市美原町、建設作業員衣斐昂容疑者(23)を逮捕した。同署によると、「道路を広がって歩いていたので注意したら、生意気な口をきかれ頭にきた」と容疑を認めている。
    逮捕容疑は7日午前1時40分ごろ、所沢市緑町の市道で、運転していた普通乗用車を22~23歳の男性会社員3人に後方から衝突させ、殺害しようとした疑い。2人は頭や腰に打撲などを負い、1人は右足を捻挫した。
    同署によると、衣斐容疑者は運転中、白線で仕切られた歩道を約10人で2列になって歩いているグループを発見。車を降りて注意したところ、口論となった。会社員らは最後は「すみません」と謝ったが、同容疑者はいったん立ち去った後、車をUターンさせるなどして追い掛けて来たという。
    衣斐容疑者は3人にけがをさせたまま、車で逃走。同署が8日午前、市内のホテルで同容疑者を見つけ、逮捕した。現場にブレーキ痕はなかったという。(YAHOO!ニュース)




    近頃、正義感を暴走させる人が多くなったように思う。

    自分は良いことをしているのだから、注意された人はそれに従うのが当然だ----と、いうような利己的な自分本位の正当性の押し売りである。

    だから、これを無視されたり断られたりすると、途端にその正義が悪へと豹変する。

    良かれと思ってしたことが、実は相手には迷惑なことだったとなった時、「おれの好意を受けられないのか」と、怒る場合と同じ理屈である。

    つまり、注意をする者が自分のことだけを考えているために、相手の気持ちへの想像力が回らないのである。

    自分が「道を広がって歩いたら、他人に迷惑だろう。気を付けろ」と、言った際、相手がどんな感情を返して来るかということまでも推量出来ないために、逆に言い返されて動転したわけである。

    これも心理学的にいうと、「無意識下の依存症」ということになるそうで、幼児性の最たるものなのだという。

    相手の反応は、こうあって欲しい。こうあるべきだ----と、思う通りの結果が出なければ承知出来ないというのは、正しく子供の考え方だというのである。

    しかし、このケースとは反対に、勇気を出して注意をしたら殴りかかられたなどということも世間には良くある話なので、注意するにもそれなりの覚悟で声をかけなければならないとも思うのだが、それにしても、これは如何にもやり過ぎである。



 
<今日のおまけ>

    共同浴場で、年配女性二人がお湯の温度のことで、いきなり軽く口論を始めた。

    先に入っていたのは、70代の主婦。主婦は、入った時お湯が少しぬるめだったということで、湯船へ入るお湯の量を多めに出して入浴していた。

    そのあとから、わたしが入って行ったのだが、湯加減はちょうど良かった。

    ところが、そこへもう一人女性が入って来て、その女性は、もともとぬる湯好きなため、水道の近くに座りたかったらしいのだが、二つある水道のそばには、先の主婦とわたしが陣取っているので、すぐにはお湯に入れない。

    そうこうしている間に、わたしが先に浴室を出たのだが、その後で浴室内から二人の言い合う声が聞こえて来た。

    「こんなに熱くちゃ入れないじゃない」

    「今、ちょうどいい湯加減になったところよ。全然、熱くないわよ」

    「水、出してもいいよね」

    「出してもいいけれど、共同浴場なんだから、他の人のことも考えて欲しいわ。今度は、誰もいない時に入れば」

    二人は、こんなやり取りをしていたが、あとから来た女性は、何故かわたしには何も文句を言おうとはしない。

    まあ、何か言っても、わたしが決して取り合わないことを薄々感じているのだろうな。    
    
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