安藤美姫とモロゾフコーチ
安藤美姫とモロゾフコーチ
フィギュアスケート前世界女王の安藤美姫(24=トヨタ自動車)が来季限りでの現役引退を明言した。9日、日本スケート連盟を通じて、指導者不在による調整不足で、GP(グランプリ)シリーズの中国杯(11月2~4日、上海)とフランス杯(11月16~18日、パリ)の欠場を発表。同夜に日刊スポーツの取材に応じ、今後の半年間を完全休養し、五輪シーズンとなる来季でアマチュアを引退する決意を明らかにした。来季はファンのためにいずれかの試合で最後の演技をすることを誓ったが、14年2月のソチ五輪は「今は考えていない」と話した。
日本スケート連盟を通じて今季GP欠場という決断を発表した夜、安藤は自分の気持ちを確かめるように、現在の正直な思いを口にした。
安藤 はっきり言って来季がラストのシーズンと思っています。どの試合でもいいので、もう1度出させていただいて演技をさせていただけたら。今まで支えてくれた方のためにも、恥ずかしくない演技がしたい。今までやってきたことを100%出したい。
GPシリーズ欠場を発表した理由も、今まで応援してくれたファンのために万全の演技で有終を見届けてもらいたかったからだった。現状ではそれは無理だった。だから今季は休養という苦渋の決断をするしかなかった。(中略)
安藤 やはり、コーチが決まらなかったことが大きいです。ニコライ(・モロゾフ)コーチに信頼を置いていたので…。3月に今季は指導できないと言われ、それ以降も面と向かっては(コーチ関係の解消)言われてなかったんですが、結果的にそうなってしまいました。(YAHOO!ニュース)
安藤美姫----やはり、モロゾフコーチとの決別が未だに尾を引いているようだ。
信頼を置いていたという意味が、コーチとしてというよりも人間として----と、いう部分が大きかったのだと思う。
以前、あるテレビ番組で取り上げていたのだが、日本の某大学のリンクで、安藤が織田信成、高橋大輔らとモロゾフコーチを囲んで談笑していた時も、
「彼(モロゾフ)は、見た目はクールな大人だけれど中身は子供」
と、言いながらはしゃいでいたことがあった。
その笑顔から察しても、あの頃から既に安藤の中でのモロゾフの位置が、コーチ以上の存在になってしまっているのではないかと思った。
アスリートたちが口にする言葉に、「何のために競技をするのかが判らなくなった時、最もモチベーションが下がる」というものがあるが、人間の心理としてやる気を高めるためには、「頑張れば、誰かが喜んでくれる」という気持ちがあるといわれる。
「自分を応援してくれる国民の皆さんのために頑張る」
しかしながら、この思いだけではモチベーションはそう長続きはしない。
人が心底から頑張るためには、誰か特定の一人の存在が必要なのである。
それが愛する者のためであれば、さらに効果は大きくなる。
おそらく安藤は、モロゾフコーチに褒めて、喜んでもらいたいために、肩を脱臼しても競技を続けて来たのだろう。
もしかしたら安藤という女性は、コーチに恋愛感情に似た思いを懐かなければ、本当の力が発揮できないような体質なのかもしれない。
だとしたら、これから新しい恋人(コーチ)を見付けるのはかなり難しいだろう。
そして、裏を返せば、もしも彼女の前にモロゾフの才能や魅力を超えるような素晴らしい男性コーチが現われた時は、何年ブランクを挟んでも、再び競技会へ復活する可能性も大なのであろう。
<今日のおまけ>
あるインターネット調査会社が、フェイスブックを利用している男女500人を対象に「友達申請」が来て困った経験があるか訊ねたところ、42%もの人が「ある」と答えたそうである。
女性で「ある」と回答した割合は53.9%で、男性の35.0%に比べ18.9ポイント高かった。
年代別では若い人ほど困った経験があり、20歳代は50.0%が「ある」と答えた----とのこと。
困った理由を具体的に聞いてみると、
「全く知らない人からの申請」(男性・29歳)
「共通の友達は多いが、その人が誰だか分からない」(男性・25歳)
「以前務めていた会社の社員だが、面識はない人」(男性・35歳)
「バーで会っただけの人」(女性・23歳)
「一度しか会ったことがない人」(女性・24歳)
のようにつながりが希薄な人からの申請であることを挙げる人が多かったそうである。
フェイスブックは、気軽に友だち申請できるツールのようだが、申請をされても気が乗らず、断わるにも神経を使うようだ。
確かに、会社の上司などから申請されても、プライベートまで管理されているようで嫌だろうし、本音が書けなくなるのもマイナスだということだろう。
ブログなどとは違って、かなりの量の個人情報を共有することにもなるのだろうから、ほとんど知らないような人と安易に友だちになるのは考えものだ。危険性だって否定できない。
実社会の人間関係で神経をすり減らし、それを解消するために始めたはずのインターネットの世界でまでも悩まなければならないというのも、奇妙な話である。
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