昔はにぎやかだった・・・
昔はにぎやかだった・・・
今日、我が家へやって来た年配の男性スキー客が話していた。
「何十年か前にもスキーをしにこちらへ来たことがあるんだけれど、街の中はとてもにぎやかで、ネオンがまぶしいくらいに点いていて、身動きが出来ないほど人通りも多かった。
駅はスキー客で大混雑。自分のスキー板がちゃんと見付かるか心配だった。それが、久しぶりに来てみると、あまりに街中が寂しいので、違う場所へ来てしまったのかと不安になったくらいだ」
街の活気のなさの原点は、長野オリンピックを招致した際に造った、中野市から志賀高原へ直接行くことが出来るオリンピック道路にあるといっても過言ではないだろう。
加えてこの大震災不況や住民の高齢化などが、追い打ちをかけた格好になっている。
それでも、これまで世界各地のスキー場を滑った経験を持つというその男性は、志賀高原の雪が忘れられず、今回は仲間のスキーヤーたちと町内の旅館に長逗留しながら志賀高原や北志賀の各スキー場を回っているのだそうだ。
そんな中で気付いたことは、ゲレンデにいるスキーヤーのほとんどが、自分のような年配者だということだと話す。
「若者の姿は、ほとんど見ない。今時の若者は、寒くて冷たいウインタースポーツには興味がないようだ。お金もないので、スキーウエアや板も買えないだろうし、ましてやホテルへ宿泊してまでスキーやスノーボードを楽しむなどという贅沢が出来るはずもないんだろうね」
近頃は、ゲレンデの食事(通称・ゲレ食)の味にもこだわりを見せることで、スキー客離れを食い止めようという試みがなされているやにも聞くが、景気が良くなって就職率が上がり、若者たちの財布のひもが緩まなければ、そうしたスキー場の努力も報われることはない。
さらに、その男性客が言うことには、
「今は、温泉が客を引く時代ではない。わたしのような都会の住人でさえ、都市の真ん中に造られている天然温泉施設で毎日のように入浴しているのだから、温泉場の魅力も薄れたということなんだろうね」
だそうである。
1980年代の志賀高原
関連記事