自分のこと・・・・・420
~ 今 日 の 雑 感 ~
自分のこと
わたしは、自分のことをブログに書くのが苦手だ。
苦手というよりも、ようするに書くことがない。
いろいろ、他のブログを読ませていただくと、皆さん、何処そこでコーヒーを飲んだとか、誰それとおしゃべりをしたとか、何処何処へ遊びに行ったとか、楽しそうな話題をアップされているが、わたしの一日には、ほとんどそういった類の話が出てこないのだ。
ここに、わたしの日常を書くとすれば、数行でおわる。
これは、間違いがない。自信を持って言える。
喫茶店でお茶?-----もう、何年も行っていない。
映画?-----十年以上、映画館には足を運んでいない。
レストランで食事?-----はるか記憶のかなた。
旅行?-----訊くだけ無駄だ。
でも、我ながら、自分自身でも凄いと思うのは、そういうことを想像するだけで、ワクワクした気持ちになったり、楽しくなったりしてしまうという特技を持っていることだ。
(これを人は、ふつう妄想癖という)
だから、日々、あまり落ち込むということがない。
何か大変なことが持ち上がっても、一種の『刺激』ぐらいにしか感じないということなのだ。いや、むしろ、逆に毎日があまりに単調単純なもので、近所の犬が勝手に一匹だけで道を歩いているのを見ただけでも、わたしにとっては大ニュースである。
要するに、わたしにしてみれば、天変地異も犬の散歩も、ニュース性としては大差がないということなのだ。
昔、アメリカ映画の『終身犯』と、いうのを観たことがあったが、独房の窓辺に飛んでくる小鳥が、彼にとって唯一の外界との接点だというシーンと、わたしの生活は同じようなものだと思うことがある。
わたしがブログを始めた理由も、家から一歩も外へ出られないわたしがうつ病にでもなれば困ると考えた父親が、
「これでも勉強して気を紛らわせていろ」
と、パソコンを買って来たことに発している。
それでも、最近になって、少しは、行動範囲も広くなって来た。春には、喫茶店へ一人コーヒーでも飲みに行けるかもしれないと、ささやかな野望-----いや、願望を懐いているこの頃である。
<今日のおまけ>
日本人の美徳は、奥ゆかしさだといいます。特に、女性は、物事をあまりストレートに表現することを、下品なこととされてきました。そのせいか、日本の女性は、とにかく勘が鋭い。回りくどい言葉の裏も、しっかりと読み取ることが出来、相手に恥をかかせないような心配りをして来たものです。
しかしながら、最近は、そういうことにきわめて鈍感な女性が増えてきました。言葉の裏が読めないのです。困っている人を見ても、相手の心情を思いやる気持ちが欠如しているので、平気で、古傷をえぐるような失礼な言動をしてしまうのです。
その上で、「自分は、ストレートな人間だから、遠回しにものを言われても判らない」などと、自らの鈍感を自慢するような愚かなことを言う始末です。
人の胸の内が読めないということは、はっきりいって、おつむが弱い証拠です。覚えておきなさい!
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