奇跡と偶然は違う・・・・・566

ちよみ

2010年05月26日 10:34

~ 今 日 の 雑 感 ~


奇跡と偶然は違う



    『奇跡』----ありそうもない不思議な出来事。

    『偶然』----思いがけない予想できない状況で、たまたまそうなること。


    国語辞典には、このように意味が書かれています。

    

    しかし、わたしたちは、とかくこの二つの物を安易に混同しがちです。

    客が大勢入っているレストランで、たまたま一つだけテーブルが空いていたとします。果たして、これは『奇跡』か『偶然』か?

    おそらくは、いえ、間違いなく『偶然』でしょう。

    何故なら、レストランにテーブルや椅子があることは決して不思議なことではありませんし、その中で一席ぐらい空席があったとしても、特別不自然なことではないからです。

    しかし、やたらに自分には『奇跡』が付きまとうと思い込んでいる人にとってみれば、このようなささいな『偶然』さえも、『奇跡』だと言いたくなるようなのです。

    では、『奇跡』とは、いったいどのようなことを言うのでしょうか?

    キリスト教の定義する『奇跡』を起こしたとされる聖職者は、『聖人』と称されるのですが、その人物が成し遂げたことが本当に『奇跡』に値するものかを認定するまでには、相当綿密な検証がなされ、万が一にも『偶然』の入り込む余地がないと確証が得られた場合のみ、その人物は『奇跡』を起こしたと、認められるそうなのです。

    しかし、その認定が決するまでには、長ければ100年もの歳月がかかるのです。

    しかしながら、近年人々の間に起きる『奇跡』は、なんと簡単な物なのでしょうか?

    前日A市で顔を合わせたかつての同級生と、翌日も、今度はB市で出会ったら、それも『奇跡』になってしまうのです。しかし、これは単に『奇遇』でしかないはずなのです。

    さっきまで大雨だったのに、出かけようとした途端にカラリと晴れた。これとて、『偶然』でしょうし、決して、あなたが天気をコントロールしたわけではないでしょう。

    タクシーに乗りたいと思っていた矢先、目の前の道路をタクシーが走って来た。これも、その道路が一般道であれば、まったく不思議なことではないのです。

    では、このタクシーがごく普通の車体構造をしていたにもかかわらず、海の上を時速100キロで走って来たとしたら、これは確かに『奇跡』と呼べるでしょうし、天気に関しても、あなたが何の道具も使わず、自由自在に雨、晴れ、雪、台風などををコントロール出来るのならば、それは一種の『奇跡』かもしれません。

    ですから、『奇跡』は、そうそう容易くその辺りにゴロゴロと転がっているものではないということなのです。

    未来を予想して、それがたまたま的中したからと言って、自分には『奇跡』を起こす力があるなどと、軽率に吹聴しないことです。

    『奇跡』とは、あり得ない時間、あり得ない場所に、あり得ないことが起きた時こそ、そう呼ぶことがわずかに可能となる物なのですから。


  
     

    

      
<今日のおまけ>

    そう考えると、『恋愛』なども、案外実に味わいのある『偶然』のなせる技なのかもしれない。

    その時、そこで、その人物と出会わなければ、そして、どちらからともなく言葉をかけなければ、二人の間に『恋』は芽生えなかったのである。

    人類の歴史とは、そんなファンタスティックな『偶然』の積み重ねが作りだして来た物なのである。
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