対話を恐れる人たち・・・・・576
~ 今 日 の 雑 感 ~
対話を恐れる人たち
最近の日本人の性格は、大きく二つに分けられるようである。
一つは、六十代、七十代の女性に見られるような『誰かれ構わずに自分の我儘をぶつけ、人の話を一切聞かない
自己天下型』。
もう一つは、団塊の世代の男性によく見られる『波風立てずに自分の思い通りの結果を得たいという、
会話拒絶型』である。
わたしは、このブログでもよく『自己天下型』について書いて来たが、『会話拒絶型』については、あまり触れてこなかった。
しかし、ある意味厄介なのは、むしろこの『会話拒絶型』の方であるといえるのだ。『自己天下型』は、向こうから攻撃を仕掛けて来るので、こちらとしても反撃のしようがあるのだが、『会話拒絶型』は、こちらの知らないところで勝手に着々と物事を進行させていて、すべて出来あがったあとで、「こういうことになりましたから、よろしくお願いします」と、いきなり事後承諾を迫るのである。
そのため、大多数の人は、自分に大した影響が及ぶことでもなければ、「しょうがないな・・・・」と、渋々ながら、それを認めざるを得ないのである。
ところが、世の中は、そう甘いものではない。時には、「どうして、事前に相談しなかったんだ!?そんな重大なことを勝手に決めるんじゃない!!」と、憤慨する人物も現われるのである。
そういう抗議が出ることも想定しながら、それでも『会話拒絶型』の人たちは、相手の当事者に事前の相談を持ちかけることをしないのは何故なのか?
それは、要するに、「相談したらきっと反対される」「色々詳しいことを聞かれるのが煩わしい」「意見がバッティングした時、喧嘩になるのが怖い」というような事なかれ主義の逃避心が働くからなのだ。
「だったら、相手の知らないうちに既成事実を作ってしまい、反論の余地を与えないようにしよう」との姑息極まりない考えで、対話を拒否するのである。
人と人との気持ちというものは話し合いを重ねる上で、次第に打ち解けて行ったり、理解し合うことも出来るのだが、それまでの過程では、口論も反目もあるのが普通である。
しかしながら、極端に対人関係における摩擦を嫌うこの世代の男性たちの中には、「相手が黙っていれば儲けもん」といったような、子供じみた考えしか持ち合わせていない者もいるのである。
実は、先日、こういう考えの男性たちが、ある企画を考え出し、近所の人たちの了解を得ないままに実行しようとしていたことが発覚。
近所の住人たちから猛抗議を食らってしまった。
それにより、既に準備していたパンフレットも何もかも最初から作りなおさなくてはならなくなるという事態となったのである。
事後承諾で済むと思ったのが誤算だった訳で、彼らは近所との対話を免れようとしたことで、大失敗を喫したのである。
この問題は、これからも尾を引くであろうが、人を相手にする時は、対話を恐れていては何一つ事は運ばないということに、ようやく彼らも気付いたのではないかと考える。
<今日のおまけ>
ついに、我が父親が、ホテルの社長を並べて大爆発してしまった。
「自分のところに売店なんか置くもんじゃない!旅館でコーヒーなんか出すな!お客は街を歩かせ、街の中の商店や喫茶店を利用してもらわないで、何の活性化だ!!勘違いも大概にしろ!!こんな化け物が出るような観光地にしてしまったのは、あんたらの間違った認識のせいだ!!」
最近、禁煙しているから、気が荒いんだぞ。
気ぃつけや~~~。(ーー;)
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