~ 今 日 の 雑 感 ~
話題いろいろ
我が家は、現在二台のエアコンがフル稼働。
でも、とても家の中すべてが網羅出来る訳ではなく、エアコンのない部屋や廊下は灼熱地獄だ。
標高600メートルなのに、何でこんなに暑いんだ~~~!!
★ ところで、昨日の「足あと」の件だが、どうも「ログアウト」しても、特殊なアクセス元解析機能を持っているブロガーには、誰がそのブログを読んでいるのか判ってしまうようだ。
やはり、そういうモラルに反したナガブロガーは実際にいるようである。
つまり、あなたは、そのブログを相手に知られずに読んでいるつもりでも、実際は丸判りということもあるのだ。
コンピューターに詳しい人には、そんなこと朝飯前なのだろうが、ほとんどのナガブロガーはそのことに気付いていないのだ。
昨日の記事をあげたら、案の定、そうしたブロガー(わたしが知るところでは男と女の二人である)の一人が今朝しっかりと「足あと」を残して来た。
自分たちのことが記事にされていると、判っているのだ。実に狡猾な人間たちである。
皆さんも、気を付けられた方が賢明だと思う。
★ 今年三月七日、イラクの連邦議会選挙が行なわれたが、その三日前、バグダッド中心部の投票所に妨害工作を仕掛けようとした自爆テロ犯人が、爆弾を身につけ投票所へ入ろうとしたのを見つけたイラク軍のファイサル・ハファジ大尉が、猛ダッシュしてこのテロ実行犯に体当たり。
投票所への被害を食い止めたものの犯人は自爆し、大尉も死亡するという事件があったという。
自由の選挙への妨害を阻止しようとした大尉は、「イラクの英雄」として行為を讃えられたが、何とも悲劇的な事件だった。この時の爆発では四人が死亡したそうである。
歴史の節目には、この大尉のような名もない英雄が必ず現われる。
こういうことを見聞きする時、何故か、そういう人たちはそういう行ないをするために世の中へ産まれて来ているのではないかと思うのである。言わば、神がその日のために現世に使わした天使の一人だったのではないかとさえ思うのだ。
少々感傷的な考え方かもしれないが、ふと、そんなことを感じた。
★ ところで、京都の祇園祭の『山鉾』だが、これまで読み方が「やまぼこ」か「やまほこ」かでもめにもめていたそうだ。
このほど、元々の語源として八坂神社文書では、鉾を「ほく」としていたことなどから英語のパンフレットの記載を「HOKO」に統一するということに決着しそうであるが、それでも長年「やまぼこ」で親しんで来た地元の人たちには簡単には受け入れがたいことであろう。
このような読み方の議論は、信州でも良く行なわれている。
佐久間象山は、「さくましょうざん」か、「さくまぞうざん」か、軽井沢は、「かるいさわ」か、「かるいざわ」か----。
とかく、読み方の統一は、地元の意見を無視した物になるのが通例である。
しかし、硫黄島が「いおうじま」ではなく「いおうとう」になったのは、個人的には良かったと思う。
★ 最近の若者の傾向で、親が小さな時から「お前は素晴らしい。お前ほど出来の良い子供はいない」などと祭り上げてきたために、他人のことを常に下目に見る癖が付いている者が多いという。
娘を嫁に出した側の親が、嫁ぎ先の家の両親に向かって、「うちの娘はお嬢さまとして育てましたから、勤めなどに出して苦労させないでくださいね」などと、平気で乗り込んで来る例もあるのだ。
バカ親もいいところである。
「嫁にもらえばこっちのもんだ。生かそうが殺そうが我が家の勝手だ!」
嫁ぎ先がこんな気持ちになったのでは、一番苦労するのは嫁自身だということを実家の親も自覚するべきである。