どうせ、おれなんか・・・
どうせ、おれなんか・・・
日本航空が空で「婚活」をして欲しいと、「空コン」を企画するとか・・・。
長野電鉄も、こんな感じに「電車コン(電コン)」でも企画するといいんじゃないかな?
鉄道マニアに限らず、小旅行をベースにした合コンも、案外ウケるかも・・・。
「どうせ、わたしは、〇〇〇〇(人名)」
この言葉、わたしの学生時代の友人たちが読めば、「そういえば、昔のコンパの席で、某医学生がいつも口癖のように言っていたなァ・・・」と、苦笑するかもしれません。
この「どうせ・・・・」という言い方ですが、一見、気が弱そうで卑屈な、自分に自信がない人の言葉のように思われがちですよね。
でも、あに図らんや、こういう口癖の人は、本心はかなりの自信家で、口ではマイナスのことを言いながら、実は「そんなことはない」と、思っているのだそうです。
自分の方が優位にあると信じているからこそ、このようなネガティブ発言もすんなりと口から飛び出すわけで、このかつての医学生も、実際は相当な強心臓の持ち主でした。
正直、わたしには、あまり彼についての良い思い出はありません。
たぶん、他の友人たちもそうだったと思います。
では、何か問題が持ち上がると、即座に、「申し訳ありません」と、自らの非を認めてしまうような人はどうなのでしょうか?
こういう人も、自分のやることに自信がないからだと思いがちですが、そんなことはなく、本心では、「自分は決して悪くない」と、思っている人なのだそうです。
では、何故こうも簡単に謝罪を口にするのか?
そのわけは、こういう人は、とにかく面倒なことが嫌いだと思っているということなのです。
「頭を下げて済む話なら、何べんでも下げてやるさ」と、既にその後のことを考えているせっかちな性格の持ち主だということのようです。
だから、相手に臆して詫びているわけではないのだそうで、案外打算的な人だともいえるようです。
人の言葉の裏には、このようにまったく逆の性格が隠されているということも少なくないというお話でした。
<今日のおまけ>
昨夜のバラエティー番組で、何処かの高校生たちが複雑な人文字を作ってグループで競い合うという内容を放送していた。
応援団長のイケメンリーダーに喝を入れられながら、不慣れな生徒たちが奮闘するという青春ドラマが繰り広げられるのだが、これを見ていた母親が、
「こんな高校には、子供を通わせたくない」
と、言い出した。戦争中に子供時代を過ごした母親世代は、誰かに命令されるということが大嫌いなのである。
まだ訳も判らない小さな頃から、毎日のように号令をかけられ、体罰など当たり前の時代、規律ばかりを徹底的に仕込まれたトラウマがあるので、統率とか集団というものに対する嫌悪感がハンパでないのだ。
「何も知らない高校生に、人に命令するようなことを覚えさせるなんて、教師は何を考えているんだか」
と、言うや、テレビの前から去ってしまった。
わたしなんかは、「なかなか高校生もやるじゃん!」なんて、ちょっと感動してたのだが、世代が違うと捉え方も違うようだ。
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