子供の自主性を尊重する
子供の自主性を尊重する
毎年恒例のJA志賀高原祭----雨の中、いつものように米10キロをゲット!
例年、好天に恵まれるので、駐車場も満杯なのだが、今年は雨の影響で出足が鈍く、すんなり車を止めることが出来た。
福引をしたが、勢い余って球を反対方向へ飛ばしてしまった。
---で、結果、残念賞。
缶コーヒー一本とティシュペーパー。
小学生や中学生を持つ親が陥りやすい勘違いに、
「子供の自主性を尊重しているつもりが、実は、それは親がやらせたかったことだった」
と、いうものがあるという。
まだ、小さな子供は、両親が「~~をやろうね」といえば、それを何の疑いもなく行なうものだが、そういう素直な子供も成長するにつれて、
「これは、自分がやりたいことではないのかもしれない」
と、考えるようになる。しかし、そのことを親に言えないために、いやいやながらやり続けることになる。
もちろん、そんな気持ちのままでは、子供は少しも上達しない。ところが、親は、そのことに気付かず、
「この子がやりたいというからやらせている」
と、勝手に思おうとする。
そうではないはずだ。
子供がやりたいと言っているのではなく、親自身がやらせたいと思っているだけのことなのである。
本当に、子供自身がやりたいと思っていることならば、子供は親が何も言わなくても、自ら率先してやるはずなのだ。
だが、親が「やりなさい」と言わなければやらないのは、子供自身が本当にやりたいことではないのである。
習い事にしても何にしても、子供本人にやる気があれば親は黙っていてもやろうとする。もっと言えば、親が「やめろ」と言ってもやるだろう。
子供にどんな能力が隠れているのかを導き出すのは、親の責任だが、無理強いするのではなく、あくまでも子供自身に選択させ、その意思を最大限尊重することも、また親の大事な仕事ではないかと思う。
<今日のおまけ>
ネットであれこれ検索していたら、担当医の先生がひょっこり現われて、ちょっとニンマリしてしまった。
あの先生は、今、あっちの病院へ転勤したんだね~とか、あれ、また長野県へ帰って来ている・・・とか、ネットの中には思いがけない情報が隠れている。
でも、やはり、知人の情報は、あまり知り過ぎない方が良いのかもしれない。
イメージは、あくまでもイメージだけにしておいた方が、創作のモチベーションが保てる場合もある。
時に、リアルすぎる現実は妨げになるものでもあるのだ。
ところで、地デジになってから、リモコンにちょっと手が触れただけで、画面が映らなくなってしまうことがある。
まあ、わたしは何処をいじれば元へ戻るのかは何となく判るので、今のところさほど困ることもないが、両親はそうは行かない。
今日も、画面が消えて、「電波が入っていません。大雪や大雨の可能性があります」の表示が出たということで、そのまま放置。
一時間ほどして確認すると、どうやら知らないうちにアナログ切り替えボタンに触っていたらしい。リモコンの文字表記があまりに細かいために、ボタンの種類が読みとりにくいのだそうだ。
高齢者の一人暮らしでは、こんなことになったらどうしているんだろう?誰にも相談できず、せっかくのテレビを観ることが出来ないまま過ごしている人もいるんじゃないだろうか?
あまりに機械化が進み過ぎて、本当に不便だと思うこの頃である。
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