ボサボサ頭は病気のサイン?
ボサボサ頭は病気のサイン?
今日は、朝から雨だ。
気温も今年一番の寒さだとか・・・。
一雨ごとに冬に近付くわけで、また憂鬱な季節がやって来た。
あなたの周りに、いつも寝癖が付いたままのボサボサ頭をしている人はいないだろうか?
ドラマや小説などでは、ボサボサ頭が主人公の朴とつな性格を表わしているかのように描かれていることがあり、それが一種の魅力のように扱われていることもあるが、ボサボサ髪が意味するものとは、いったい何なのか?
その実態を知れば、主人公をボサボサ頭などに描くのは考えものだということになるはずである。
そもそも、寝癖が付いたままのボサボサ頭でも平気だという人の性格を良く見てみると、生活自体もかなりズボラなことが判る。
時間にはルーズで、昼夜の区別さえつかないようなだらしない毎日を送ることが珍しくなく、歯も磨かず、顔も洗わないような不衛生な環境にいても苦にしない。
そんな人の性格は、たいていが自分に自信がなく、なりたい自分が見付けられないばかりか、他人からどう思われているのかにさえも気が向くことがない、いわゆる公的自己意識がかなり弱いということが特徴だそうである。
中には、精神的な病気を抱えている人もいて、そういう人は、人生に生き甲斐を感じなくなっている場合もあるという。
しかも、以前は、身なりもきちんとしていたのに、最近は服装もだらしなくなって風呂にも入っていないのではないか----と、思われるような人が身近にいたら、精神的に深刻な状態に陥っている可能性もあるので、早く専門機関で診察を受けるようアドバイスすることも必要だということである。
忙しさにかまけて身だしなみにまで気が回らないのでは・・・という人もいるだろうが、忙しい人ほど、実は身なりには気を配るもので、ボサボサ頭の政治家や実業家にはあまりお目にかからないのもそうした理屈なのである。
女性の場合なら、これまで身仕舞には殊更気をつけていた人が、急に化粧をしなくなったり、髪を染めなくなったりしたら要注意だそうだ。
人生に生き甲斐が見出せなくなっていることも十分に考えられるからである。
わたしも病気がひどい時は、毎日生きることが精一杯で、身だしなみなどに気持ちが向くことはまったくなかった。
一日中夜昼なく同じセーターを着たままで、階段を使って階下へ降りることも出来ずに、二階の部屋のベッドまで母親に食事を運んでもらっていた。
そんな生活が一年以上も続いたのである。
通院日には、父親や弟に階段を降ろしてもらい、病院へ行った。
しかし、やがて徐々に身体が動くようになって来るのと同時に、昼には普通の服を着て夜にはパジャマに着替えるという習慣が戻ってきた。
鏡を見て髪をとかすようにもなり、身なりに気を配るという意識も出て来たのである。
以前も書いたが、おしゃれをしようという意欲がある人は、心身ともに健康で元気な証拠なのだ。
つまり、寝癖をつけたままのボサボサ頭には、そんな警告の意味が込められていることを、ちょっと頭の隅においておくことも大事かもしれない。
<今日のおまけ>
おしゃべりな人は社交的な人?----普通は、誰しもそう思うだろうが、それは間違い。
おしゃべりな人ほど、人の話を聞くのが苦手なのである。何故なら、人の話を聞いている間に、自分の欠点や短所が相手に暴き出される可能性があるから。
おしゃべりな人は、自分がしゃべり続ける限り、相手が自分の痛いところを突いて来られないということを良く知っているのだ。
だから、おしゃべりな人は、おしゃべりな人が嫌いなのである。
病気になってからというもの、感性が研ぎ澄まされたせいか、他人の内面が良く見えるようになった---(ような気がする)。
どんなに上手を繕っていても、その人の目線一つ、言葉尻一つで本心が見えてしまう。
殊に、上から目線の人間は、どうしようもなほど無防備に己の稚拙さをひけらかすものだ。
人間は、下から上を見上げることで、相手の真の価値を知ることが出来るものなのである。
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