今日の雑感 10
今日の雑感 10
★ 先日、渋温泉の歴史勉強会が地元有志により開かれ、地域の成り立ちや地理を、改めて女将たちが学んだという。
渋は歴史のある温泉場とはいえ、県外や県内でも地元以外から嫁いできた女将たちにとっては、自らが進んで学ぼうという意欲がない限り未知の場所も同じである。
何でも知っているような顔をしながら宿泊客をもてなしていても、結局は日雇いのコンパニオンと知識レベルは変わらない。
「こういう機会がなければ、本当の渋温泉の良さを知らずにいた」
と、語る女将もいたそうである。
ぜひ、これからも地域の歴史を率先して勉強し、自分たちの住む場所がどれだけ大勢の町の人たちの努力と恩恵の上に発展してきたのかを自覚して頂きたいものである。
★ 毎年、クリスマスケーキを買っていたおまんじゅう屋さんが、今年はケーキを作らない。
今年の春、和菓子職人だったご主人が亡くなってしまったために、奥さんがお店をやめてしまったのだ。
「生クリーム、サービス!」
と、言って、ケーキとは別のパックに、生クリームだけをたっぷり入れて持って来てくれるご主人だった。
和菓子職人とはいえ、ケーキ作りの腕前も素晴らしく、下働きの小僧さんの頃から叩き上げた職人の技が光るふわふわのスポンジは、何とも言えないおいしさだった。
あの優しい味が、今年はもう食べられないと思うと、何とも寂しい限りだ。
いつもあって当たり前と思っているものが、実は決して当たり前の現実ではないということを、改めて痛切に思い知らされるクリスマスである。
<今日のおまけ>
年をとると新しい物や流行り物の話題について行けなくなるというのは、正にその通りである。
記憶力が衰えるからか・・・と、いえば、一概にそうともいえない。
若い頃は、毎日が刺激的で目に入る物すべてが新鮮だが、年を経るごとに人は多くの経験を積むわけで、ささいなことでは感動も落胆もしないし、出来なくなるのである。
感動や発見がなければ、人はそれを記憶しようとはしない。記憶するほどの価値を見出さないからである。
「若い歌手の顔なんて、どれも同じで誰が誰やら区別が付かない」
と、高齢者は言うが、顔が認識できないのではなく、そもそも若い歌手などに関心がないということなのである。
今風の歌謡曲の歌詞が聞きとれないというのも、曲はもとより歌詞の内容そのものに共感も感動もしないからなのだ。
わたしの周囲にいる高齢者の中には、今年大ブレークした「スギちゃん」や「前田敦子」を知らない人は大勢いる。
しかし、政治や政治家についてはわたし以上に詳しい。
自分の生活が今後どうなるのか----つまりは、芸能の話題などよりも、そちらの関心の方が大きいからなのである。
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