女与力・永倉勇気 捕物控 ⑲
勇気は、仰天と戸惑いが交錯した表情の清太郎に、座敷はこまめに掃除をしても、納戸部屋までは、そうそう行き届くものじゃねェからなと、目配せしたのち、その二枚の花びらを女将(おかみ)にも見せ、
「このような花びらをつける植物が、この料亭の近くにないだろうか?」
と、訊ねる。女将は、その花びらをしばし観察してから、
「何やら、桜の花びらのようにも思えますが・・・・。この辺りでは、見かけたことはございませんねェ」
と、すげなく首を振った。
そして、その後、勇気と清太郎が料亭「千両」をあとにする際、清太郎が、再び念を押すように女将を質(ただ)した。
「もう一度訊くが、本当にこの料亭では、河豚料理は扱っていねェんだな?」
「もちろんでございます。天地神明に誓いましても、当方では、河豚なんぞお客様にお出ししたことは、金輪際ございません」
女将は、如何にも迷惑そうに強く否定するや、
「このようなことで、おかしな噂を立てられては、こちらも迷惑ですので、これ以上の穿鑿(せんさく)は御免蒙りますよ」
と、逆に釘を刺して来たのであった。
片や、蕪木半兵衛毒殺犯人は、女人を装った高級陰間(かげま)に違いないと、目星を付けた同心・高島文吾の行動は、迅速かつ的確であった。北町奉行所首席同心・佐々木軍兵衛(ささきぐんべえ)の指示を仰ぐや、同町奉行所付廻り方同心たちと、その私的な手先たちに加え、更に、同町奉行所の雇い人である小者らまでも動員した人海戦術捜査を展開した結果、翌々日には、早々に、犯人と思しき一人の売れっ子の陰間が容疑者として捜査線上に浮かび、その身柄を大番屋へ留置したのだった。
「高島同心が下手人を召し捕っただと!?」
町奉行所内で、清太郎からの一報を受けた勇気は、明らかに心中の動揺を露呈した。
清太郎の報告によれば、容疑者として逮捕された陰間は、源氏名を菊乃(きくの)という二十三歳の男で、舞台子ほどの等級高(かくだか)ではないが、湯島で陰間茶屋を営む栄屋善二郎(さかえやぜんじろう)の店に約一年前に抱えられてからというもの、その類まれな美貌と、如才なさが評判となって、旗本や諸藩江戸詰の重臣たち上客を相手にする売れっ子へと、一気に名をあげて来た「子供」だということであった。
そして、蕪木半兵衛もまた、この菊乃に入れ揚げた常連客の一人だったとの証言も取れたという。
勇気は、即刻、その菊乃とやらいう陰間に会って、直に話を聞かねばならないとの衝動にかられ、矢も盾もたまらぬ思いで、独り奉行所を飛び出した。
と、奉行所の表門を出たところで、大番屋での容疑者の取り調べを担当している高島文吾が帰庁するのと、偶然にもばったり出くわした。これを無視して、勇気が先を急ごうとするのを、高島は、いきなり呼び止め、
「永倉さん、どちらへ行かれるおつもりですかな?」
「・・・・・・・・」
足を止めた勇気が黙っていると、高島は、何処か意気揚々とした口調で、
「もしも、大番屋へ行って菊乃を訊問するおつもりでしたら、とんだ時間の無駄になりなすぞ」
と、言う。勇気が訝しげに振り向くと、高島は、
「陰間の菊乃が、たった今、四日前の夜の蕪木半兵衛殺しを自ら白状したんですよ。河豚毒の入手経路や殺害動機については、今後、じっくりと供述させて行こうと思いますが、罪科が明白となった以上、大番屋での留置も必要ありませんので、これより一連の調書を調(ととの)え次第、明日にでも、伝馬町の牢屋敷への仮入牢許可証文を、お奉行に請求するつもりです」
そう追い撃ちを掛けるように言い、勝ち誇った顔付きで双肩をそびやかし、門の内へと入って行ってしまった。
~今日の雑感~
今年もまた、「長野マラソン」が行われました。
かつて、わたしの家の近くにコースがあった時は、この日が近付くと、何処からともなく大勢の参加ランナーが集まって来ては、当日に備えて思い思いのマラソン練習をして、実に賑やかだったものですが、近年は、コースが変更になり、そういうランナーの姿も、とんとお目にかからなくなってしまいました。
それに加えて、NHKの「長野マラソン」中継も、ライブではなくなり、これに対するわたしの興味も、次第に薄れて行っています。
この「長野マラソン」は、「長野オリンピック記念」と、銘を打っているだけあり、そもそもは、「長野冬季オリンピック」の競技会場だった場所を巡るコースをランナーが走るということが、大会の主たる目的だったはずです。それが、いつの間にか、マラソン競技その物を重視するという趣旨に変わり、コースとして不適当な場所は、次々に削られて行ってしまいました。
しかし、思い出して下さい。「長野冬季オリンピック」と、いうはずの大会を、長野市だけでは賄いきれないために、あちらこちらの自治体に競技会場を分散し、その自治体の協力がなくては成功裡に終わることがなかったということを。そんな過去の誘致事情など、とうに忘れて、長野市は、さも自分たちだけの力でオリンピックを開催したような錯覚を起こしているようです。
長野オリンピックに反対した人々も多い自治体へも、競技会場への選手輸送道路を勝手に整備し、そのために、その道路周辺の観光や経済に大きなダメージを与えている実態なども知らずに、長野市だけがおいしいところを丸抱えでは、少々虫が良すぎるのではないでしょうか?
以前、大阪から来たという観光客が、「大阪にもオリンピックを誘致したかった」と、話すのを聞いて、わたしの家の近所の旅館経営者が、こう言っていました。
「地域を没落させたいのなら、誘致すればいい。でも、大阪は、候補から漏れて、命拾いをしたのですよ」
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