女与力・永倉勇気 捕物控 22

ちよみ

2009年04月25日 23:55

 これを聞いた菊乃は、俄に瘧(おこり)の如く総身を震わせ始めると、今は、若衆髷(わかしゅわげ)に結った髪の鬢(びん)のほつれにも、女の勇気でさえ瞬間妬ましさすら覚えるほどの妖艶な翳(かげ)りをたたえつつ、がっくりと肩を落とす。
 やがて、ようよう観念の色を、その人形のような面立ちに滲ませたかと思うと、淡々とした口調で語り出した。
 「そうです。あなたのおっしゃる通り、わたしは、坂口方義先生の許で、診療助手をさせて頂いておりました菊村一馬です。事のすべては、去年の二月、与力の蕪木半兵衛が心の臓の不調を訴えて坂口先生の診療所を訪れたところから始まったのです。初診以来、坂口先生から内服薬を処方してもらうようになった蕪木半兵衛は、次第に、先生との私的な付き合いを望むようにもなり、しばらくして、その理由が、先生が長年研究し続けておられた河豚毒の抽出方法にあることが判りました。坂口先生は、その頃、ようやくこれまでの研究の苦労が実を結び、河豚の卵巣からの河豚毒の抽出に成功したばかりでした。
 これは正に、画期的な研究成果で、この段階で公表しても、世間から高く評価されると同時に、先生ご自身の出世につながることも間違いありませんでした。が、先生は、『この成果は未だ途上のうちであり、この抽出毒を医薬品として利用出来ないかを模索しているのだ』と、発表は控え、一部の気の置けない医者仲間のみに、大まかな過程を知らせた程度で、そのまま研究を続行されていたのです。
 だからと言って、蕪木が端(はな)から河豚毒の抽出方法が目的で坂口先生に接近したものとも思えませんが、先生の研究内容に関する情報を、何処かで聞き及んだもので、坂口先生を料理屋へ誘うなどして互いに打ち解け合った頃合を見計らって、先生に『河豚毒の抽出方法を売り、大金を儲けよう。買い手は、自分が探し、交渉するので、代わりに代価の三分の一をもらいたい』と、持ち掛けたのです。
 もちろん、坂口先生は、断固として、この申し出を撥ね付けました。しかし、蕪木は、その後もしつこく先生に付きまとい、そして、昨年三月のあの夜、例の火事騒動が起きたのです。河豚毒関連の研究成果を収めた書類は、先生が、万が一の事態を考えていたものか、娘の百合さんに頼んで、別の場所へと運び出させていたので事なきを得ましたが、先生の死に方にどうしても納得がいかない百合さんとわたしは、遅々としてはかどらぬ南町奉行所の捜査に業を煮やし、二人だけで独自に、蕪木の身辺を調べ始めたのです。
 そして、わたしは、蕪木を常連客としていた栄屋の抱えの陰間となり、百合さんは、蕪木が坂口先生の死後に移った他の診療所の医療助手として、実名(なまえ)を偽って働きながら、共に蕪木の口から事の真相が語られるのを待ちました。蕪木は、百合さんとはあまり面識がなく、陰間化粧で白塗りのわたしの正体にもまったく無頓着だったため、ついに、最近になって、わたしとの寝物語に、一年前のあの夜の出来事について、口を滑らせたのです。



    
    ~今日の雑感~

    善光寺御開帳のせいなのか、わたしの家の周囲は、週末であっても、ほとんど人通りがありません。最近は、陽気も良くなり、春の花々も満開だというのに、観光客の姿など、まったくと言っていいほどに皆無です。
    旅館も商店も、ほとんど開店休業状態で、「早く御開帳が終わってくれないと、商売にならない」と、皆さんぼやいています。
    では、当の善光寺のお膝元の仲見世通りや長野市の商店は客足が良いのかと言いますと、これがそうでもないらしく、毎日の人出はものすごく盛況だが、それが、充分に売り上げには結びついていないとのこと。
    店に入ってお金を落そうという客は、本当に少ないと、こぼしていました。要するに、ご利益に与かろうと、ただただうろうろ歩きまわる客ばかりで、善光寺土産には見向きもしないのだとか-----。売れ行きの良いのは、今回初めて発行された善光寺御開帳記念小判ばかりで、とんだ肩透かしだったと、商店主たちは、皆呆れていました。
    しかも、この小判、一枚千三百円で売り出されているにもかかわらず、もし、使うとしたら、千円の価値しかないという摩訶不思議な貨幣なのです。差額の三百円は、誰がどのように儲ける仕組みになっているのでしょうか?

    まあ、そんなこんなで、人っ子一人いないはずの街の中に、つい数日前、人間が溢れるという珍現象が発生しました。 
    我が家の近くで、自動車の炎上事故が起きたのです。消防車が何台も駆け付け、それは大変な騒ぎになりました。幸い、このオイル漏れが原因の自動車火災は、爆発などという最悪の事態を招く前に、消防隊員の迅速な消火活動で、間もなく鎮火しましたが、その騒ぎを聞き付けた人たちが、町の至る所から現場に集まって来て、その数ざっと百人はいたと思います。
    「な~んだ、この町は、別にゴーストタウンという訳じゃァなかったんだな」と、少しばかり、ほっとしました。

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