気の合う人、合わない人・・・・・248
~ 今 日 の 雑 感 ~
気の合う人、合わない人
人間長くやっていると(それほど長くもないか・・・・)、気の合う人と合わない人というのが、次第に固定してくるような気がする。
もっと言えば、毛色が似通っている人と、まったくソリが合わない人とでもいうことになるのだろうか?しかし、これは、趣味が同じとか、そういう事とは関係がないし、男性だから女性だからという意味の関係もまったくない。
いくら趣味が似ていても、全然相容れない人間もいる。
おそらく、わたしが自分の中で、この人は気が合うなァ----と、思う人に共通していることは、本当の意味で自分のことを謙虚に見詰めることの出来る人ではないかと思うのである。
あえて、「本当の意味で」と、書いたのは、近頃は、上辺だけ自分をへりくだって見せるくせに、本心では、相手のことをいつも見下している「似非(えせ)謙虚人間」が、あまりに多いからである。
そういう「似非謙虚人間」は、相手のことを徹底して褒めそやしながら、その褒められた相手が少しでも気を許して馴れ馴れしいことなど言うと、掌を返したように攻撃的に出るものだから、すぐに判るのである。要するに、「似非謙虚人間」は、常に相手のことを心の中では馬鹿にしている訳であり、時には、口ではうまいことを言いながら、内心物凄い嫉妬心を燃やしていたりもするものなのである。
そういう人間とは、わたしは最初からあまり親しい付き合いをしようとは思わないし、また、この「ナガブロ」をやってみて、世の中には男女を問わず、その手の人間が異常に多いことも勉強した。
そういう人々は、多かれ少なかれ、自己顕示欲が強く、嫉妬深く、派手好きで、嘘つきである。
徒党を組むことが大好きで、自分の仲間を増やすことに汲々としていて、いつもお山の大将でなくては気が済まないという、おそろしく幼児性の強い人たちなのである。
しかし、その一方で、何物に対しても実に淡々と物事を運んで行く人たちもいる。他人のことは一切関係ない。余計な面倒は持ち込んでもらいたくない。考えることは、いつも自分のことばかり。自分は、どういう人間だ。自分はこう思う。そんな自分中心のことばかりをブログに書いている
「自画自賛人間」がいるが、こういう人種も、わたしは大の苦手である。
一見、優等生で正義感の塊のようにも思えるが、あにはからんや、こういう人間ほど小心者で、臆病で、姑息な連中はいないのである。もっとも、卑怯者の典型といってもいいだろう。
こういう人間を、とかく人は、「クール」だとか「格好いい」とか勘違いするものだが、わたしに言わせれば、ただの「役立たず」でしかない。
こんな人間も、わたしにとっては、まったく気が合わない人々である。
では、わたしにとって気が合う人とはどういう人間かということであるが、
それは、漠然とした言い方であるが、ただ一言、「尊敬できる人」と、いう言葉に尽きる。正直で、真の謙虚さを持ち、本当の意味で相手を気遣う心の余裕を有し、何事にも一生懸命な不器用人間。
そういう人が、何となくわたしには合うのではないかと、最近思うようになって来た。
外面だけのかっこつけ人間は、もう、はっきり言って食傷である。
<今日のおまけ>
最近は、人の話をじっくりと聞いてくれる人が確実に減ってきた。
自分の話は、延々としゃべるが、こちらの話はほとんど身を入れて聞いてはくれない。だから、時には意地悪もしてやりたくなる。あんまり、身勝手が過ぎると、損をするのは自分なのだということを思い知ることにもなるのだ。
世の中は、ギブ&テイク。自分ばかりが得をしようなどと卑怯な考えを持っている人は、あとで大失敗をしますよ。
ところで、俳優の城田優クン。まだ23歳なんですね~。大河ドラマの「天地人」では、彼自身の憧れの戦国武将「真田幸村」の大役を務め、なかなかの演技派であることを証明しました。
自身は、スペイン系のハーフということで、かなりこの役には神経質になったということですが、何も不自然なことはありません。だって、「真田幸村」といえば、昔から、西郷輝彦や草刈正男といった、バタ臭い二枚目がやるものと相場が決まっているのですから。
とはいえ、わたしが彼の演技をいいなァと、思ったのは、やはりテレビ版「チーム・バチスタの栄光」で、犯人の麻酔医を演じたのを観た時でしょう。「麻酔医は、手術室の奴隷なんですよ・・・・」と、長椅子に倒れ込みながら呟いた言葉は、本当に、真に迫っていて素晴らしかったです。
それにしても、わたしのメンクイ癖は、いまだ衰えずといったところだなァ・・・・。(爆)
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