~ 今 日 の 雑 感 ~
「普通」は、「普通」ではない!
これは、
「自称 美人女将」さんのブログにも書かれていたことですが、わたしたちが日常何気なく使っている
「普通」という言葉には、その人その人にまったく違った意味合いがあるものだということを、最近考えさせられました。
皆さんは、「普通」という言葉をどのように受け止めていますか?
自分の生活は、「普通」だと思っていますか?
たとえば、ここに、二人の子供を持つ30代の主婦がいたとします。ご主人は、中小企業の係長をしています。家は、最近新築したばかりの一戸建てです。ご近所との仲も円満で、ご主人の両親である舅・姑ともそれなりにうまくやっていますし、やさしいご主人は、主婦と子供たちを、時々国内の温泉旅行に連れて行ってもくれます。家族そろって、ファミリーレストランや、回転ずしで夕食をとることもあります。
これを、この主婦は、「わたしの家は、ごく一般的な家庭だから、やはり、特別なことよりも、こういう『普通』の生活が続いて欲しいわよね。高望みはしなくても、『普通』で十分よね」と、近所の主婦仲間に話しました。
でも、皆さんは、この主婦の生活が、「普通」だと思いますか?わたしに言わせれば、この主婦は、そうとうに「贅沢」な生活をしていると思うのです。
まず、大好きなご主人と結婚して、お子さんにも恵まれ、家庭も円満。旅行にも行き、レストランで食事も出来る。こんな幸せな境遇が、果たして「普通」なのでしょうか?
わたしには、「彼女は、とても普通ではない」と、思えるのです。まず、彼女も家族も皆、健康です。これが既に「普通」ではありません。一日に家から一度も外へ出ることのできない経験をしていたわたしにしてみれば、家族で旅行など贅沢の極みです。レストランで食事?-----わたしは、もう何年も、そんな体験をしていません。
要するに、この主婦の思い描いている「普通」は、他の人にしてみれば、決して「普通」などではないのです。
わたしは、時々思うのですが、長年連れ添った奥さまやご主人を亡くされた人たちが、まるで、人が変わったように気力を無くし、悄然としている姿を見て、どうして、あのように、気持ちが萎えてしまうのかと、不思議でならないのです。
人は、もともと一人で産まれてくるものです。死ぬ時も、一人です。
結婚だって、皆が出来る訳ではありませんし、子供を授かることも、ある意味奇跡のような現象なのです。つまり、結婚して子供が出来、長年伴侶と添い遂げられたことは、正に、奇跡中の奇跡なのです。
その生活がなくなったからと言って、「どうしてなんだ?」などと嘆くことの方が間違っています。
むしろ、「自分は、これまで本当にラッキーな人間だったんだ」と、思うべきなのです。一人になってしまった?-----元に戻っただけではないですか!これまでの何十年間が、ある意味、宝くじに当たったようなものだったということに気付くべきなのです。
しかし、人間とは現金なもので、そういう幸せな生活が長く続くと、それが「普通」に思えてしまうものなのです。
あなたは、自分のことを「普通」だと思っていますか?
しかし、「普通」の概念は、人それぞれなのです。あなたの「普通」、決して「普通」ではないのですよ。それは、とても特別な、贅沢で幸せな「普通」なのです。