老人は本当の色が判らない・・・・・727

ちよみ

2010年08月14日 18:22

~ 今 日 の 雑 感 ~


老人は本当の色が判らない



    年を取ると、本当の色が判らなくなるそうです。

    くすんだ赤も真っ赤に見えるのだとか。

    2005年に駐イタリア大使館によって建て替えられたイタリア文化会館の外壁を見た読売新聞本社の渡邊恒雄会長は、この景観を「極めてグロテスクな建物」と呼び、色を変えてもらいたいとイタリア副首相に直訴したのだそうです。

    しかし、この外壁、他の人に言わせれば、「とてもシックなワインカラーとベージュのツートンカラーで、特別グロテスクでもなんでもない」との感想でした。

    では、どうして渡邊会長は、その外壁を「グロテスク」などと表現したのでしょうか?

    それは、既に高齢の渡邊会長の目に原因があったのだそうです。高齢者の眼球は、80歳も過ぎると特別自覚症状はなくても、ほとんど白内障のために水晶体が濁り、網膜が刺激を感じやすくなるため、明るい色が苦手になるのだそうです。

    それで、高齢者は、次第に黒っぽい色の服を好んで着るようにもなるのです。

    加齢とともに色を感じる能力が衰えてきていることで、くすんだ赤でさえ、渡邊会長の目にはグロテスクな赤に見えてしまった訳でした。

    因みに、直訴されたイタリア副首相は、この外壁について「とても美しいという感想を持った」と、返答。「政府としての文化・芸術にかかわる原理・原則を、圧力で曲げる訳にはいかない」と、話したそうです。

    わたしの母も、最近時計の針が文字盤と重なりよく見えないということがあります。

    そこで、文字盤の色と、針の色を大きく変えた時計にしたところ、判りやすいと言うことでした。

    高齢になると、似たような色の判別が付きにくくなり、ちょっとした段差でもつまづいたりするのです。

    つまり、高齢者に優しい街は、白黒はっきりした街ということになりますが、それでは微妙な色遣いで癒される若者たちには味気ないものとなってしまいます。

    この辺りの色遣いの兼ね合いが、また難しい問題で、「美しさを取るか」「便利さを取るか」も、これからの街づくりの課題なのかもしれませんね。
<今日のおまけ>

    先日、病院へ行った時、あまり暑かったので風通しのよい少し幅広のズボンを履いていた。

    最近は、階段の上りだけならば何とか手すりを持たずに上れるようになったので、格好つけて足早に上っていたら、その幅広の裾がつま先にまとわりつき、思わず転びそうになった。

    それでも何とか踏みこらえて上まであがりきったが、よろよろと無様な歩き方だったはずである。

    恥ずかしさをごまかそうと、周りを見渡し、誰も見ていなかったことを確認しようとしたところ、目の端にチラッと白衣が見えた。

    病院内で時々顔を合わせる先生だった。ちょっと、目が笑っていたように見えた。

    こういう時に限って、かならず誰かに見られているものなんだよね~。

    
関連記事