恋ができない人達が増えている・・・・・925
~ 今 日 の 雑 感 ~
恋ができない人達が増えている
「恋なんて、面倒くさい」「恋愛なんて、時間の無駄」「相手の気持ちを考えるだけ、疲れる」「自分の理想に合う異性がいない」「世の中の異性は、見る目がない」
最近、こんな声を発する独身男女が多いそうだ。
そういう人たちは、おしなべてこんな感想を漏らすという。
「わたしのことを素敵だなんていう男性は、気色が悪い」
「ぼくを好きだなんていう女性は、腹黒い奴だ」
これに似た言葉は、奇しくも、お笑いタレントの光浦靖子さんや、岡村隆史さんも言っていた。
一昨日のNHKの番組では、こうした異性に拒否反応を示す人達の根本には、共通した思い込みがあるのだと説明していた。
それは、「自分は、誰からも愛されないほど、容姿や性格に問題がある人間なんだ」という認識なのだという。
これに対して、ゲスト出演していた光浦靖子さんは、
「思春期に周囲の人からの言動で、自分は可愛いと思われていないことが判ってから、恋愛を諦めた」
という趣旨の発言をしていた。
ところが、アドバイザーの男性は、そうではなく、既に幼い頃から聞いていた親の言葉が影響しているのだと言い、
「子供は、親が絶対的存在だから、親の言うことは間違いがないと刷り込まれる。そんな頃に『お前は、頭が悪い』とか『器量がよくない』などということを言われていれば、子供は、自分はそういう人間なのだと信じ、自分自身を愛せなくなるのだ」
と、話していた。
確かに、幼い子供は、自分の容姿や性格、頭の良し悪しなどを気にしたりはしない。いつも、世の中で自分が一番可愛く、一番格好いいのである。
だからこそ、お姫様やアニメのスーパーヒーローにもなれると信じているし、女の子に将来の夢は?----と、訊ねると、ほとんどの子供が無邪気に「お嫁さん」と答えるのだ。
つまり、大人になり、何の躊躇もなく恋愛が出来、結婚することが出来る男女は、無条件で自分は素晴らしい人間だと思い込むことが出来る人々だと言えるのである。
「恋は盲目」という言葉があるが、これは、何も周囲に対して物が見えなくなるということばかりではない。
自分自身の本当の姿さえ判らなくなってしまうということなのである。
どれほど不器量な人間に対してでさえ、「きみは、そのままでいいんだよ」という優しい言葉を投げかけてくれる異性の出現が、真実を見事に覆い隠してしまうのが、恋愛なのである。
そして、誰もがそういう言葉を言ってくれる異性の出現を待ち望んでいる。
恋愛に臆病な人に限って、そうでない人よりも理想が高いというのも、そういう丸ごと自分を愛してくれるプリンセスや白馬の騎士が現われるのを、心の何処かで信じて疑わず待ち続けるからなのだ。
しかし、そんな理想の相手がおとぎ話のようにやって来る保証など何処にもない。
そのことも、彼らは良く理解している。だから、「自分を好きだなどという人は、信用できない」ということになってしまうのである。
もしも、あなたが恋をしたいと思うなら、一言で言って「ものすごい自惚れ人間になれ」ということである。
世界中で、一番美しく、格好いいのは自分だと思い込める人でなければ、恋愛など出来はしない。
「人を愛するためには、まず自分を愛せ」
番組のアドバイザーの言葉を借りれば、恋愛の奥義とは、正に、これに尽きるのではないだろうか。
<今日のおまけ>
「やしきたかじんのそこまで言って委員会」で、近頃のテレビドラマが面白くないのは、出演しているアイドル俳優たちの演技力不足と、人生経験に乏しく知識のない脚本家が独自の脚本が書けず、漫画のストーリーに安易に頼りすぎているからだと、指摘していた。
そして、そのアイデアを提供してくれていた漫画も、既に在庫が尽きてしまい、これからのドラマは、ボロボロになるということらしい。
では、バライティーはどうかと言えば、特に関東エリアで制作されているものは、政治関係などへのコメンテーターの言葉に制約が課せられているため、きわどい発言が出来ない。
では、本音トークが比較的しやすい関西エリアの番組を放送すればいいかといえば、あくが強くて視聴率が取れない。
今後のテレビ界は、放送番組の氷河期に入るかもしれないという話であった。
番組中にも発言があったが、やはり、アメリカのドラマは面白い。
制作費が日本のドラマの比ではないから当然なのかもしれないが、ああいう物を観せられてしまうと、日本の多くのドラマが如何にお手軽に作られているのかとがっかりする。
結局は、脚本と演技力の差が出てしまうのだろうなァ・・・。
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