大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」・・・・・934

ちよみ

2011年02月16日 12:02

~ 今 日 の 雑 感 ~


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」




    今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」に対する評価が、真っ二つに分かれているそうですね。

    究極の駄作だ----と、いう人たちと、判りやすくアクがないので安心して観ていられる----という両極端の意見の人たちがいるとのことです。

    しかし、割合的には、辛口評価の人たちの方が断然多いようで、脚本に対する酷評が大半を占めているといいます。

    今回の脚本を担当しているのは、同じく2008年の大河ドラマ「篤姫」の脚本を書いた作家だそうで、この「篤姫」が女性たちの間でかなりの高視聴率を稼いだこともあり、再びの登板となったようです。

    ところが、今度の「江」に関しては、どういう訳か以前の華やかさや物語のキレがいま一つで、俳優たちの演技にまでそれが影響し、つじつま合わせの感が強い、その場しのぎのストーリー展開になっているとの意見が多いそうです。

    つまりは、「篤姫」の時は、原作がしっかりしていたので脚本家に特別な文才がなくてもあのくらいのドラマ内容には容易になったということです。

    ところが、今回の「江」に関しては、脚本家がほぼすべての筋立てを考えなくてはならないために、その力量のなさが露呈してしまっているとの見方をする視聴者も多いとのことでした。

    確かに、どう考えても年端もいかない九歳の娘の江が、伯父・織田信長や明智光秀に意見するようなシーンは、あまりに荒唐無稽と言わざるを得ません。

    まあ、上野樹里が、九歳児を演じることがそもそも荒唐無稽の事態なのですけれどね。(笑)

    でも、もしも、この役を年相応の子役が演じていたとしたら、また、受ける印象はかなり変わったのではないかと思うのです。

    わたしは、以前から、時代劇が現代劇と最も違う要素は、子供も大人も同等な目線で描けるというところにあるのではないかと思っているのです。

    つまり、子供を子供扱いせずに描けるということで、昔、「編み笠十兵衛」という高橋英樹主演の時代劇がありましたが、ここで、主人公の十兵衛が、幼い男の子を前にして、まったく大人に向かうような丁寧な口調で話しかけるシーンがありました。

    こういう物語設定は、現代劇では絶対にありえません。

    しかし、「女子供」というようなくくりで、子供を一人前以下として扱うようになったのは、おそらく明治以降のことではないかと思います。

    その前までは、たとえ十歳の子供といえども、身体は小さいものの精神は一人前の大人と同様に扱っていたものです。

    そのことを考えれば、「江」のストーリー構成も、あながち間違いではないのかもしれません。

    わたしの聞いた話が正しいとすれば、江は、こののち十一歳という年齢で嫁ぎ、十四歳の時お腹に子供がいるにもかかわらず出戻ります。現在の法律に照らせば、正に犯罪ですね。

    そんなこんなで、生涯にわたり三度もの政略結婚を強いられ、戦国という時代の中で子供を産む道具同然に使いまわされたというのが江という女性の真実の姿なのだそうです。

    でも、結局、彼女がいたことで、織田信長の血が徳川幕府へと引き継がれ、信長は江を通して天下を掌中にして太平の世を築くという野望を成し遂げることになったわけです。

    本能寺の変の際、自害した信長の遺体はついに発見されませんでしたが、のちに江が家康の子の徳川秀忠との間に儲けた家光(一説には秀忠の子ではないとも言われる)が、さしずめ信長の生まれ変わりではなかったか----と、考えることも出来るのです。

    何故なら、信長は森蘭丸などの小姓を寵愛していたという説もあり、家光もまた女性には興味を示さないことで有名な徳川幕府の三代将軍だったからです。

    歴史には、さまざまな要素が想像されてこそ、面白みもあるというものです。

    今回の大河ドラマは、一話完結の戦国版「のだめカンタービレ」として、楽しむのもアリではないかと思います。
<今日のおまけ>

    大河ドラマ「江」で豊川悦司が演じた織田信長は、これまで色々な俳優陣が演じてきた信長像とは一味違うもので、賛否両論あるものの、わたしとしてはなかなか良かったのではないかと思う。

    劇中のナレーションを江の母であるお市の方に任せるやり方をしているが、わたしはむしろ江の伯父である信長にした方がよかったのではないかと考えてみた。

    その方が、江の気持ちを男性目線でドライに表現できるし、ただでさえ軽いと思われているストーリーに重厚さを加えることが出来るような気がするのだが・・・。
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