スマートフォンって、本当に必要なの?
スマートフォンって、本当に必要なの?
新聞を読んでいたら、東日本大震災で被害に遭った人たちが、本当に欲しかったのは紙に書かれた活字、もしくは手書きの情報だったという記事があった。
「新聞をもらった時、そこに書かれている記事の信頼度や紙やインクの匂いに癒された」
と、感じた人たちも少なくなかったそうだ。
が、今や巷ではスマートフォン・ブームが花盛りである。
スマートフォンを買った人たちは、そのことを称して、「スマホ・デビュー」というそうだ。
スマートフォンは、携帯するパソコンとでもいうべき多機能携帯電話のことで、この小さな端末一つで様々な用途を網羅してくれるのだという。
電話、メール、ワンセグTV、写真、辞書、書籍、検索機能、音声付録画、翻訳、ゲーム、音楽、ショッピング、医療などなど・・・。
ありとあらゆるアプリケーションを取り入れるだけで、その機能性は無限に広がるのだという。
近未来には、スマホでお湯まで沸かせそうな勢いである。
しかし、それほど便利なスマートフォンだが、果たして、それだけの多機能を毎日徹底的にフル活用している人が何人いるのだろうか?
人間には、日々最低限行なわねばならない生活の基盤があるはずだ。
それを無視して、インターネットの世界だけで生活出来る人は皆無だと思う。
今は、珍しさも手伝って連日スマホ三昧という人もいるだろうが、何もかもを指でタッチするだけで事足りてしまう日常が、人間の脳や身体に良いとはとても思えないのだが・・・。
人間は、いつしかそうやって、これまで膨大な時間をかけて培い育てて来た人類としての能力や可能性を自ら放棄して行くのかもしれないと考えると、ある程度の便利さを手に入れたところで、一定の区切りを設ける勇気も必要なのではないかとさえ思う、この頃である。
<今日のおまけ>
新聞記事を読むと、制作者たちの高齢化を理由に廃刊に追い込まれた会報や冊子の話題が目につくこの頃です。
こうした会報や冊子は、ほとんどが手書き印刷で、長年にわたり有志の人たちが地域住民に身近な情報を提供するために、地道なボランティアで続けられてきた物が大半でした。
しかし、この手書き印刷は、手間もかかるうえに記事に携わる人たちも高齢化し、足で情報を集めることが難しくなったというのが、廃刊の主な理由だそうです。
他の情報収集手段が増えたことにもよる時代の流れといえばそれまでですが、一抹の寂しささえ感じる話題でした。
で、「スマホ・デビュー」ならぬ「足だけデビュー」。
落ち葉の絨毯がフカフカで気持ちいい~~。
踏むたびにカサカサ鳴る音も、正にポエムですね。
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