ほめ方の極意
ほめ方の極意
「喜ぶ」という感情は、いったい何から出て来るかといえば、おそらく大半の人はこう答えるのではないだろうか。
「自分が誰かから認められた時、喜びが湧く」
と----。
誰かから認められるということは、すなわち一目置かれるとかプライドをくすぐられたことで認識できる感覚である。
「自分は、他の人よりも少しばかり特別なのだ」
と、思い込むことが「喜び」の最も近道だともいえるのである。
では、どうしたら「自分は特別だ」と、感じられるかといえば、それは他人から「ほめられる」という状況が起こった時ではないだろうか。
人は、ほめられて悪い気はしないものである。
たとえ、それがお世辞だと判っていても気分が良いことには違いない。
だが、一口に「ほめる」といっても、さて、一体どんなほめ方をすれば人は一番気持ちよく喜べるのだろうか?
「あなたって、頭が良いいだけじゃなくスポーツも得意でいいわね」
「美人でスレンダーなんて羨ましい!」
「お子さん、有名高校へ進学されたんですってね。おめでとう」
などなど、個人の能力を強調するのがいいのか、いや、スタイルなど外見の立派さを持ち上げるのがいいのか、それとも地位や名誉欲をくすぐるのが効果的なのか・・・。
ほめ方にも色々なバージョンがあるものだが、最も相手を喜ばせるためには、とにかく言葉をあいまいにしてほめるというやり方が一番効果的なのだそうである。
人は、具体例をあげてほめられると、確かにそれ自体は嬉しいと思うのだが、たとえば、「きみは本当に頭が良いね」と言われたとしても、「頭だけなの?」と、思ってしまうこともある。
つまり、具体的なほめ方ではすべての喜びの感情を満足させることは出来ないのである。
そのため、ほめ言葉は出来るだけアバウトなものにするのがいいらしい。
人はその言葉を自分に都合の良いように解釈することが多いので、喜びの質が均等になるのである。
しかし、このアバウトなほめ言葉ほど、ある意味難しいものはない。
アメリカの作家のヘンリー・ソローは、こう言っている。
「お世辞を言うのは易いが、称賛は難しい」
<今日のおまけ>
今日は、暖かで過ごしやすい一日でしたね。
近所の畑のフキノトウも、いっせいに大きくなりました。
まあ、この辺りでは、「ふきったま」と呼ぶのが通常ですが・・・。
で、小林幸子さんの問題は、元社長の反論ファックスによりますますこじれて来てしまったようですね。
でも、この問題、当事者それぞれに一理あるような話ですから、解決は難航しそうな気配がします。
しかし、ワイドショーでの事情通による裏話などで、小林さんの紅白落選を元社長が必死で阻止したなどということを聞くにつけても、歌手はヒット曲が出てこそ価値があるものなんだなァ・・・と、思いました。
衣装の豪華さだけでは、もはや紅白出場は危ういということが、小林さんの切羽詰まった気持ちを更にあおったのかもしれませんね。
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