人が人を好きになるということは?
人が人を好きになるということは?
「もしも、あなたが誰かを好きになった時、その誰かが同性でも異性でも、その誰かから何かをしてもらったから好きになったわけではないはずだ」
と、いうのが心理学者の理屈だそうだ。
そう言われてみれば、確かにそうである。
テレビでいつも目にしているイケメン俳優を好きになってファンになった人も、別にそのイケメン俳優から個人的に声をかけられたわけではない。
そのイケメン俳優の顔や仕草や時には生い立ちなどが、自分の想像を刺激したり好みに合っていたということのみに他ならないのだ。
故に、もしも、あなたが特定の異性から好意を持たれたとしても、それはその特定の異性に嫌われないために何か特別な親切をしてあげようなどと頑張る必要はない----と、いうことになる。
好かれているということは、好いている相手からしてみれば、早い話があなたと一緒にいるだけで満ち足りているということになるのだ。
良くドラマのセリフなどである、「きみは、きみのままでいいんだよ」というのは、そういう意味だという。
つまり、「そばにいてくれるだけで、こっちが勝手に想像を膨らませて好きになるから、気にしないでくれ」というのが、本来人を好きになるということであるらしい。
時々、相手の男性がせっかく好意を感じて付き合おうと言ってくれたのに、最終的には「重い・・・」と、言われて男性に去られてしまう女性がいるが、これはどうやら女性が男性に嫌われたくないとばかりにあまりに頑張りすぎて、あれこれと男性の世話を焼きすぎてしまうためだという説もある。
人が人を好きになるのは、理屈ではない。
逆を言えば、どんなに好かれたいと思って手を変え品を変え接近したところで、興味がわかない相手には悪意も感じないかわりに、決して好意も懐けないのが人なのである。
<今日のおまけ>
今日、小布施町から来たという人に話を聞いた。
連休中の街中の人出はものすごいものだが、人が歩くばかりで食事をしたり物を買おうという人は本当に少ないということだった。
しかも観光客の大半がツアー客のため、お金を落とす場所が既に指定されているのだという。
こういう客の入り込みでは、観光地の活性化はまったく望めない。
一部の決まり切った業者だけが得をするというやり方は、真の観光のあり方とは相反するものだと、その人は話していた。
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