WBCの意義---ほか

ちよみ

2012年11月20日 17:56

WBCの意義----ほか




    WBCは大リーグ主催の大会だが「WBC=世界一決定戦」だと考える大リーグ球団はない。「ワールドシリーズ」こそ世界一を決める戦いだ、と考えている。

    保険による保障では年俸をカバーできず「なぜ給料を支払う球団が損をするのか。シーズン開幕直前にリスクは負いたくない」との意識が球団にはある。表面的に全球団協力をうたうが、実情は違う。米国代表のジョー・トーリ監督は「選手を無事に球団に帰すのが最大の仕事」と語った。(YAHOO!ニュース)




    確かに、WBCのアメリカでの知名度は、あまり高くないかもしれない。

    とはいえ、アメリカとカナダのチームだけで行なう「ワールドシリーズ」が、世界一決定戦かといえば、それも首をかしげざるを得ない話だ。

    本当の世界一を決めたいのなら、「ワールドシリーズ」優勝チームと、アジア一位、ヨーロッパ一位、アフリカ大陸一位、南アメリカ大陸一位、オセアニア一位等のチームが激突しなければならないことになる。

    少なくとも、ワールドシリーズ優勝チームは、アジアの強豪チームを倒してこそ、真の世界一といえるのではないだろうか。

    WBCの開催時期が悪いといっても、それは言い訳に過ぎない。オリンピックから野球競技が外された以上、本当の意味での世界大会はこの大会しかないのだから、ここで世界一を決めなければ、何処で決めるのかという話である。

    


    今日の信濃毎日新聞の投書欄に、43歳の既婚女性の投書があった。

    女性は、あるチェーン展開をしている衣料品店で買い物をした際、レジでいつものようにマイバッグを出して、「ここへ入れて下さい」と、頼んだのだそうだ。

    ところがレジ係の店員さんは、「この店で買った商品は、店の袋へ入れることになっている」というので、女性が「同じチェーン店ではどの店でもそうですか?」と、訊ねると、店員さんはそれには答えず、

    「次の来店時にこの袋を持ってきてもらうと、値引きすることになっています」

    と、説明する。だが、女性にとっては年に数回来るかどうかの店舗のため、やはり店の袋をもらうのはもったいないと主張。

    そこで、店員さんと女性は、「袋へ入れる」「入れない」で、押し問答になってしまったのだそうだ。その後、ようやく商品をマイバッグに入れてもらうことで帰宅。ご主人に経緯を話すと、

    「そこまで言い合うことではないだろう」

    と、呆れ返られてしまった。が、この女性は、どうしてもマイバッグを引っ込めたくなかったといい、店員とケンカもしたくなかったと投稿記事を結んでいた。

    

    この投書を読んでまず感じたことは、この女性は、「マイバッグは正当なもので、レジ袋はいけないもの」と、頭から決め付けているのではないかということである。

    つまり、自分だけの視点でしか物事を判断できない人の考え方であり、女性の想像力の中には、店舗側の都合というものがまったく抜け落ちているように思われた。

    確かに、今は資源の無駄遣いをなくす目的から、スーパーなどでもレジ袋廃止が主流ではあるが、そもそもレジ袋が何故誕生したのかといえば、客の万引き防止の性質が大きかったのである。

    かつて戦後の貧しい時代には、スーパーへ持ち込んだ自前の買い物かごの中へ、こっそり商品をしのばせて店を後にするという主婦が少なくなく、レジ袋を提供することで、客を手ぶらで店舗内へ入れられ、万引きを未然に防ぐことが出来ると考えたのである。

    しかもレジ袋は、店舗の宣伝にも役に立ち、一石二鳥である。

    この女性が買い物をした衣料品店でも、店の袋を宣伝目的で使っているのではないだろうか?だとしたら、マイバッグへ入れて欲しいといわれても、店員さんが拒否するのは当然の反応である。

    「こんなことで店員とケンカをしたくない」というのであれば、女性の方が折れるという選択を何故しなかったのか・・・?その方が不思議であった。

    自分の考え方だけが最良だと思い込むのではなく、相手の立場も思いやる配慮が投稿者には必要だったのではないかと、記事を読みながら思った次第である。

<今日のおまけ>

    旅客機の機内で大声で泣き続ける赤ちゃんにブチ切れた女性有名人の話題を読んだが、あの狭い空間での大泣きに長時間さらされれば、さすがに人目を気にする有名人の理性も吹き飛ぶことだろう。

    まあ、旅客機に限らず、列車やバスでも同じようなことは起きる。

    赤ん坊がどうしても泣きやまない時に、親御さんともども避難できる別室を設けてはどうだろうか?

    バスのような狭い空間では無理かもしれないが、旅客機や新幹線ならそれも可能ではないかと思うのだが・・・。

    で、わたしの騒音経験の相手は赤ん坊ではなく、年配のご婦人たちだった。

    列車内で、大きな声で間違った歌詞のまま歌を歌い続けているのが気になって気になって----。

    「そこは、そう歌うんじゃありません!」と、ついにキレてしまった。
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