携帯電話を持たないので・・・
携帯電話を持たないので・・・
わたしは、携帯電話もスマホも持っていないので、あの板のような薄っぺらの物体を耳に当てて話をするという感じに、どうしても違和感がある。
受話器というものは、やはり丸みを帯びていて、耳にフィットする形でなければ、どうにもしっくりこない。
話をしているという実感が持てない。
電話は、電話らしい形の方がいいなァ・・・。
だって、何のかんの言っても、結局、電話だもの・・・。
で、それに関連してだが、どんなに携帯やスマホが社会に普及しても、公衆電話や電話ボックスをなくして欲しくはない。
電話ボックスは、街の風景的にも絵になるし、携帯電話の充電が切れたとか、何処かへ置き忘れたなどという時も、何かと役に立つはずだ。
電話ボックスの照明は、防犯灯の役割もするし、雨具を持たずに雨に降られた時は、雨宿りの場所にも最適だ。
夢占いでも、綺麗な公衆電話や電話ボックスから電話をする夢は、人間関係もスムーズに運ぶという意味があるのだそうだ。
わたし自身の夢の中にも電話は時々出てくるが、携帯を持たないためか、携帯電話をかけるというシーンは一度も登場したことがない。
<今日のおまけ>
今日の情報番組で、日本維新の会の橋下代表代行は、「維新の会の政策は、一言で言って、すべての国民に負担をお願いするということである」と、言いきっていた。
しかし、すべての国民という概念が何処から来ているのか、甚だ疑問である。日本国は南北に長い。
まさか、沖縄の人たちと同じように信州や北海道の人たちもこれ以上の節電や節約に甘んじろということではないだろうな。
最高気温が零度以下という真冬日など経験したこともない大阪の人間が、北国や雪国の辛い現実も知らずに、無責任なことを言うべきではない。
あの一言で、彼は結局、何一つ国民の現実を知らないのだということが判った気がした。
もしも、彼の理念を全国の現状に当てはめるなら、「医師数も多く、気候もいい、西日本の人たちには、特にご負担をお願いすることになる」と、言うべきである。
ただでさえ過酷な自然と日々向き合っている長野県民を、一夜漬けの思い付き政策などに巻き込まないでいただきたい。
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