体罰を容認する教育者の心理

ちよみ

2013年01月13日 22:48

体罰を容認する教育者の心理



    大阪市立桜宮高校(都島区)の男子バスケットボール部主将が男性顧問(47)の体罰後に自殺した問題で、顧問が平成20年9月、授業で危険度が高い組み体操の練習中、悪ふざけを繰り返した2年の男子生徒の顔を平手打ちしたり、引き倒したりする体罰を加えていたことが13日、分かった。市教委によると、生徒は口を切るけがを負ったが、生徒が「自分が悪い」と話し、保護者も処分を求めなかったことなどから、懲戒処分は見送られた。(産経新聞)




    早い話が、体罰を容認したり、自らそれを行なうことを正当と自認する人間の心理には、大人になり切れていない未熟な自己主張の発散しかないといえるだろう。

    子供は、大人に文句もなく従うものだということを、自身が幼い頃から身近な大人によって、徹底的に叩きこまれているという背景が無視できない。

    つまり、ひどい体罰を繰り返し行なっても、良心の呵責を感じるどころか、快感すら覚えるという心情は、もはや病気といって差し支えないのだ。

    そういう精神的に病んでいる人物を、教育機関に採用したこと自体が問題なのである。

    他人を暴力でしか屈服させられない人間は、必ず「これは教育だ」とか「しつけをした」という都合の良い解釈で、狡猾にも自分を正当化しようとするが、そもそも自身が最初からそういう素地を持ったまま成長しているので、そんな理屈で体罰を行なっているわけではないことは、本人が一番良く判っているのである。

    今回の事件を起こした桜宮高校のバスケ部男性顧問も、自殺した被害少年を単なる怒りの発散場所としていただけのことである。

    たとえ部活の成績を上げるためだという大義名分があったにせよ、自分の怒りをコントロール出来ない人間に、生徒指導を任せること自体が犯罪である。

    この男性顧問は、

    「体罰で伸びる生徒もいる」

    などという愚かな屁理屈をこねているそうだが、恐怖で子供の心を支配し、がんじがらめにしているだけで、彼らに真の実力が付いているわけではない。

    子供は、自分が体罰から逃れるためなら五輪の金メダルだって取るだろう。

    無垢な子供の心身を、自分のうっぷん晴らしのために弄んだ罪は決して許されるものではない。

    しかも、自分を信頼している従順な高校生を30~40発も殴るなど、男性顧問の神経たるや異常としか言えない。

    残念なのは、少年が体罰を受けていることを知りながら、周囲の大人がそれでも部活をやめさせようとしなかった点だ。

    学校教育の名を借りたとしても、間違いなく暴力は犯罪である。

    たとえ男性顧問を警察に突き出しても、自分の子供の心身を守るのが親の務めだろう。

    命を救うためなら、最終的には高校を退学させたって構わないはずである。

    子供が生きるべき社会は何も学校内だけではない。

    親も教師も学校という狭い空間を、過大視しすぎていることが、この悲劇を生んだ最大の原因なのではないだろうか?





        
<今日のおまけ>

    子供の部活やクラブ活動にやたらに熱を入れて厳しい指導をしている教師がいるが、テレビでそういう番組を観ていると、無性にゲンナリしてしまう。

    子供たちに強くなってもらうためには、実際に身体を動すことよりも大事なことがある。それは、教師や顧問がどれだけ簡潔に判りやすく、上達のコツを子供たちに説明できるかという言語力と想像力の問題なのだ。

    この能力のない指導者がどれほど熱血ぶりを発揮して怒鳴り、叱咤しても、子供はほとんど理解できないし強くなどならない。

    すなわち、子供がうまくならないのは、子供に責任があるのではなく、指導者に能力がないという証拠なのである。

    殴るべきは、指導者自らの顔であり、子供の身体ではない。

    教える子供たちが上達しないならば、「お前自身が壁にでも頭をぶつけろ!」と言いたい。

    
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