腹の立つ奴とは・・・
腹の立つ奴とは・・・
毎日、極寒の日が続いているせいか、体力消耗気味だ。
道が滑って危険なのでおちおち散歩も出来ず、日光に当たらないせいもあって、気分的に落ち込みがちかも・・・。
テンション上げようとがんばってはいるが、楽しさよりも腹の立つことでしか気分を上げられない。(ま、いつものことだが・・・)
それにしても、世の中ムカつく人間が多すぎる。
そんな中でも、特に腹の立つ奴というのはどういう人か?と、複数の人間に質問した時、一番多く返って来た答えが、
「実力もないのに、あるように装う見栄っ張りの奴」
というものだった。
確かに、それって「あるある」と、頷いてしまう。
あれも出来る、これも出来ると言うくせに、いざ頼むと、あれこれ言い訳をしてやらずに逃げてしまうという人間のことだ。
要領が良いといえばそれまでだが、要は卑怯者の典型なのだ。
一生懸命頑張っても出来ませんでした----と、言うのなら、誰もそれ以上追及はしないし、文句も言わない。
しかし、自分からやってみようともせずに、あ~だから出来ない、こ~だから無理だと、最初から自分で壁を作ってしまい、やらずに済ませようという恥回避の根性が癪にさわるということであろう。
こういう人間は、人として絶対に成長できない。
尊敬も集められない。
もちろん、友だちも作れない。
信用をなくすし、軽蔑の対象ともなる。
だが、今の世の中、こういう類の人間が増えつつあるのも事実なのだ。
<今日のおまけ>
桜宮高校を受験しようと考えていた子供の親たちが、「何年も前からこの高校へ入るために我が子はスポーツで頑張って来たのに、橋下市長がいきなり『今年度の体育科入試は実施しない。校長、副校長の更迭は当然だが、体育科の教師も総入れ替えする』などというのは、あまりの暴論だ」と、憤っているそうだが、橋下市長の言う、
「人一人の命が無くなっているんですよ。命があれば人生どうとでもなる。失われた子供の命を何だと思っているんですか?」
との言葉は、正にその通りである。橋下市長の国政に対する考え方には疑問があるが、この事件に関する「今やらねば、いつやるんだ?」という教育改革は、当然の理屈であると思われる。
長野県でも学区制が始まった当時は、学区が変わり、もともとの志望校へ入れなかった子供も多数いた。子供が希望通りの進路に進めないなどということは、昔からよくあることだった。
志望校へ入れなかった子供は、行き場を見失いグレてしまう確率が高い----などという教育関係者の意見もあるやに聞くが、そんなヤワな精神構造ならば、たとえ志望校へ入っても、碌な成績は納められないだろう。
「人生は、思い通りには運ばないということを学ぶのも高校だ」
と、橋下市長は言う。最近の親御さんたちは、自分にも子供にもあまりに甘過ぎる気がする。
同校の野球部へ入りたいと希望している中学三年生男子の一人は、「私立はお金がかかるし、兄弟もいるので公立高校の野球部に入り甲子園を目指したい。卒業後は大学へ進学し、プロへ行きたい」と語り、「今から別の高校へ進学するには入試勉強が足りない。体育科ならば三教科でいいと言われていたのに、普通科では五教科の試験があるので、無理だ」ということのようだった。
体育科だろうが、普通科だろうが、楽をして入学しようなどと思わせていたのだとしたら、そういう進学指導をしてきた中学校にこそ責任がある。
人間、何があっても対処できるように万全の対策は講じておくべきだと痛感した。
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