色々おしゃべり 43
色々おしゃべり 43
湯田中温泉街(通称・楓通り)を東へ上ると、突き当たりにあるお寺が梅翁寺。
境内にある湯けぶり地蔵尊には、参拝者が自身の身体の不調な部分や痛む箇所と同じところを湯に濡らした手拭いでこすると、ご利益があるといわれている。
境内には、こんな可愛いお地蔵様たちも・・・。
で、今、20代から50代の「孤立無業者」と呼ばれる未婚の男女が急増中だという。
無職で社会と接点がなく、高齢になった両親の介護をしながら暮らしている独身者や、介護をするわけではないが両親と同居する無職の独身者のことを指す言葉らしい。
政府は、これまで15歳から34歳で、通学も仕事も職探しもしていない男女を「ニート」と位置づけて、カウンセリングや就職支援をしてきた経緯があるが、この「ニート」たちが年齢を重ね、近年の就職難も手伝って、「孤立無業者」となっているケースが少なくないという。
この「孤立無業者」の中には、以前は会社などで働いていたが、リストラされたとか、高齢の親の介護が必要となり、会社を辞めざるを得なくなったという人たちも多い。
こういう人たちの日常を調査すると、とにかく一日中家族だけと過ごすという人が大半で、家族以外の人たちとの交流がほとんどないか、まったくないというものだったそうである。
高齢の両親もこうした子供たちに頼る生活を壊したくないと考え、子供も子供で長年の独身生活に波風立てることを望まなくなるという生活パターンが増えることで、ますます社会からの孤立化を深めて行くのがこの問題の根深いところだという。
つまり、「孤立無業者」は、現在は両親の年金に依存する生活を送り、自らは年金を支払っていないことが多いので、両親が亡くなったのちは、ほとんどが生活保護受給者になると想定されているだけに、彼らの自立支援に本腰を入れないと大変なことになると、専門家も指摘しているのである。
とはいえ、この問題は、一見「孤立無業者」だけの問題のように捉えられがちだが、その背後には急速に進む高齢化がある。
高齢になった親たちは、赤の他人に面倒をみてもらうよりも気心の知れた実の子供に世話をしてもらいたいと考える。
口では、「子供の世話にはなりたくない」と言いながら、いざ本当に介護が必要になると、ほとんどの親が施設への入所を拒むそうだ。
こうした現状が、「孤立無業者」を増やす大きな原因にもなっているのだそうである。
中には、親の介護がきっかけとなり離婚する夫婦もいるという。
わたしの知り合いの女性も、働きたい気持ちはあるにもかかわらず、両親の介護のために仕事をやめた。
独身の彼女は、ほぼ毎日両親の通院の送り迎えや家事、介護に時間を割かれ、もう何年も、旅行はおろか外食すらしたことがないという。
「両親以外の誰ともゆっくりと話す機会すらないまま、自分は年老いてしまうのだろうか・・・?」
そう考えると、将来が怖くなるという。
「貧乏生活に甘んじながらの長寿なんかいらないよね」
確かに、その通りだと思った。
<今日のおまけ>
東日本大震災の際に、両親が死亡したか、もしくは片親が死亡したという被災児たちが、震災から二年を経て、新たな苦難の局面を迎えているという。
殊に被災地である東北は、親族関係が密で、親を亡くした子供たちのほとんどが親戚に引き取られて行ったために、施設に入所した子供はごく少数だったそうである。
ところが、親戚たちは昔からの風習や世間体を気にして被災児たちを引き取ったという理由が背景にあるため、自らも被災者である里親や養親たちの生活も既に限界に近付きつつあるのだという。
「自分の子供だけでも食わせて学校へ行かせるのが大変なのに、親戚の子供の将来まで引き受けるのは正直きつい」
と、嘆く若い夫婦もいるそうだ。
これからの被災児たちの支援をどう継続して行くのか、東北の未来を担う子供たちの人生がかかっていることだけに難題山積である。
関連記事