色々おしゃべり 44
色々おしゃべり 44
時々見る夢で、何故か学校に行かなければならない時間を寝過してしまい、ものすごく慌てふためくというものがある。
気が付いたら、もう昼を回っていて、今から家を出たのでは授業終了までに間に合わないとか、そんな焦りまくるシチュエーションばかりが頻繁に出て来るのだ。
苦手な学科の単位が取れずに、下手したら留年か?----と、いう身の毛もよだつようなシーンも良く登場するし、新学期が始まっていたことに気付かず、自宅でぼんやりしていて、突然そのことを知りパニックになる----という展開もある。
わたしは、いつもいつも夢の中で異常に何かに急きたてられてばかりいるようにも思えるのだ。
こうした焦りや何かに追いまくられるような夢を見るということは、現実世界でもとにかく時間が足りないと焦っていることを意味するのだとか。
過去に冷や汗をかいた出来事がトラウマになっていて、それが状況設定を変えたりすることで繰り返し夢になって現われるというもののようだ。
この話を父親にしたら、
「何言ってんだ、おれなんか最近ようやく大学時代の夢を見なくなったくらいだ。刑法の論文提出の期限が迫っているのに、一行も書いていなかったとか・・・そんな夢、しょっちゅう見た」
とのこと。
てェことは、これからもまだまだこうした悪夢は継続するということか・・・。
因みに、試験時間に遅れる夢は、それをやりたくないという心理が影響しているのだそうである。
と、いうことは、わたしの場合、過去の出来事は、本当はやりたくないことばかりだったということなのだろうか?
まあ、生きていることが、多少なりとも面倒くさくなることがあるのは確かだ。
ところで、お昼の情報番組でコメンテーターの一人が語っていたのだが、人間、知識を蓄えたり運動能力を最大限に発揮できるのは、やはり若いうちなのだが、それまでに得たものから想像力を発展させたり、考え方に膨らみを持たせられるようになるのは、何と50代からなのだそうである。
若者の発想は斬新だが奥行きがないと感じるのも、そういうことから来ているのかもしれない。
<今日のおまけ>
インターネットが普及してきたことで、さまざまな知識や教養が瞬時に手に入る時代になったが、実は、それを書いている人たちは、いわゆるインターネットが使える世代の人々である。
つまり、ほとんどの内容が伝聞や本から得た知識に過ぎないのだと思う。
殊に、昭和初期を生きていた高齢者たちの記憶をネットに掲載しようとすれば、それは聞き書きの類になるしかない。
高齢者自らがキーボードを叩いているわけではないので、その記述がすべて真実であるかは甚だ心もとないといえる。
如何にも昔のことを知っているかのように若者が語る内容も、実際にその時代を体験して来ている人たちに言わせれば、へんてこりんなことばかりだそうだ。
たとえば、戦争ドラマの役者の台詞だが、旧海軍士官のことを「大尉(たいい)」と呼んでいるのを聞いて、首を傾げた元主計兵(艦の炊事を担当する兵士)もいる。
「そうだったかな・・・。あれは陸軍の呼び方で、おれの記憶では、海軍ではあんな呼び方しなかったと思うんだけれどな・・・」
さて、旧海軍では何と呼んでいたのか、あなたはご存じだろうか?
答えは、「だいい」である。
因みに、大佐は「だいさ」と呼んでいたらしい。(これは、わたしも初耳だった)
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