ママカースト
ママカースト
ネット記事を読んでいたら、「ママカースト」なる言葉が目に入った。
「ママカースト」とは、ある作家が生み出した造語らしいのだが、要は、ママ友同士の間に存在する地位差別意識のことらしい。
地位といっても、当のママ自身の社会的地位が高いか低いかということではない。
夫の就職先での役職とか、収入が多いか少ないか、自家用車はどんなものに乗っているか、
そんな言わば虎の威を借る狐の生活水準の高低を称して、「ママカースト」と、呼ぶのだそうである。
傍から見ると、何とも幼稚な差別意識なのだが、そのカースト制度の中に組み込まれてしまったママたちにとっては抜けるに抜け出せないアリ地獄のような毎日なのだという。
子供が有名私立の小学校や中学校へ合格しなければ、母親グループからつまはじきにされる。
ブランド物のバッグや服を持っていなければ、「庶民」と、バカにされて下目に見られる。
かといって、ママ友仲間のリーダー格(つまり、夫の社会的地位が高いママ)よりも、高価なものを持っていてはいけない。
パートやアルバイトなどをしていることがママ友に知れると、途端に軽蔑される。
夫の出世が遅いというだけで、ママ自身の価値までも低く評価される。
何故、このような泥沼でママたちは苦悩しているのかということなのだが、一口に言って彼女たちの周りを取り巻く世界があまりに狭すぎると言うことに尽きるのだそうである。
子供と自分、そしてママ友たちだけが彼女たちが直接関わることが出来る人間関係だということ----その狭い空間だけが唯一の生きる場所だと、いつしか思い込んでしまった結果が、こうした理不尽な「ママカースト」なるものを生み出してしまったともいえるのだろう。
もしも、そこに夫の存在が介入して来たのなら、立ちどころに、そんな呪縛から解き放たれるはずなのだが、ママたちはそれにすら気付かないほど視野が狭くなってしまっているらしい。
そんなママ友呪縛から解き放たれるためには、どうしたら良いのか・・・。
それは、簡単なことだという。
夫に一肌脱いでもらい、カーストママたちに、
「旦那の給料で優雅に遊んで暮らしていられるなんて、幸せな御身分ですね。でも、うちの女房はあなた方のような有閑マダムとは違って、自分の食いぶちぐらい自分で稼げる力を持っている。申し訳ないが、女房の仕事の邪魔をするのはやめてもらいたい。あんたたちも、少しは大人になって、社会人らしく人の役に立つようなことを一つでも見付けたらどうですか?」
ぐらいなことを言ってもらえばいいのだそうだ。
とはいえ、カーストママの中にも、仕事をしている女性はいる?
でも、そういうママは、夫という高給取りの後ろ盾がいるから、半ばファッション感覚でしていられるだけで、それで食べて行かなければならないなどという切実感など毛ほどもないものである。
ママカーストの中にいて、「空気が違う」と、感じたならば、もっと広い視野で世界を見るといい。
ママ友の顔色ばかりをうかがいながら、渋々お茶をしていた時間が、自分を呪いたくなるほど無意味だったことに気付くはずである。
----と、誰かが言っていた。
<今日のおまけ>
午後、お昼御飯を食べながら、何となく「火車」の再放送を観ていた。
主人公でシングルファーザーの刑事が、亡くなった妻の従兄弟の子(銀行員)の消えた婚約者の行方を捜し始める----というところからストーリーが始まるのだが、まず感じたことは、遠い親せきの男性の婚約者が消えたことが、果たして脚を銃弾で撃ち抜かれてリハビリ休職中の刑事が、あえて動くほどの動機か?と、いうことであった。
「自ら失踪した自己破産している女など、銀行員の妻にはふさわしくない。諦めろ」
で、普通は終わる話ではないだろうか?と、思ったのだ。
まあ、ストーリー自体は面白かったが、結局最後まで、
「そこまで一生懸命に捜さなくても・・・」
という気持ちを引きずりながら観てしまった。
主人公ももう一度刑事へ復帰したいがためのリハビリと思って職務外捜査をしていたのかもしれないが、それって、公務員としてどうなの?休職は、ケガの治療期間ということなんじゃないの?
そんな突っ込みどころ満載のドラマであった。
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