こんなことってあるの?

ちよみ

2013年08月21日 21:22

こんなことってあるの?




    長野・松本市の私立の小中一貫校「才教学園」で、免許のない職員が授業していたことがわかり、警察は21日、教員免許法違反の疑いが強まったとして、学校を家宅捜索した。
   才教学園は20日、2005年の開校当初から、免許のない補助の職員が授業をしたり、中学校の教科の免許しかない教員が、小学校で担任をしていたことを明らかにし、謝罪したうえで、「事務長の認識不足によるもので、組織的に行ったものではない」と説明していた。
   警察は、免許のない者が教員となったり、教員として雇用することを罰する、教育職員免許法違反の疑いが強まったとして、21日、学校を家宅捜索した。(YAHOO!ニュース)



    
    こんなことって、本当にあるのだろうか?

    教員免許がどういう種類に分けられているかなど、素人にだって判りそうなものだ。

    それを、教育のプロが、「認識不足でした」とは、にわかには信じがたい。

    さらに信じがたいのは、免許を持っていない者を採用した学校側の意識はもちろんだが、採用された側が、採用試験面接や免許コピー提出の時点で、「実は、わたしは小学校教諭免許は持っていないのですが・・・」と、何故、自己申告しなかったのか----ということである。

    それとも、小学校教員免許を持っていないことが判っていながら、「いずれにしても補助教員なんだから、そんなに四角四面に考える必要はないのでは?」とでも、双方が深く考えていなかったのだろうか。

    公立校ならばいざ知らず、私立はある程度の自由裁量が容認されてしかるべき----と、甘く考えていたのかもしれない。

    学校教諭に採用されたくても試験ではじかれ続けている者は多い。

    いや、万が一採用試験に合格しても、各学校に実際に雇用してもらえるかは、また別問題なのだ。

    せっかく採用試験が通っても、雇用校が見付からなければ採用資格は失効してしまう。

    やはりそこはある程度の人脈や縁がなくては就職もままならないことは、採用試験を受けたことがある者ならば自明の理だ。

    個人の素質や成績だけではいかんともしがたい現実があるのは、いつの時代も同じなのだ。

    しかし、もしも、無資格のまま児童や生徒を教えることが出来る現状がまかり通れば、これまで歴とした資格を持ち、なおかつ教員になりたいという長年の夢、情熱、実力がありながらも、コネがないばかりに悔し涙を飲んで来た誠実な不採用者たちに、県教育委員会はどう説明をつけるつもりなのだろうか?

    また、そうした無資格者の授業を受けた子供たちの単元履修は、果たして認められるのだろうか?

    認められるというのならば、何も教員資格を持たなくても小、中、高の教師は誰にでも出来るという前例を作ることになる。

    この前代未聞の不始末----県は何処に落とし所を見付けるのか、県民は冷ややかな視線で今後の成り行きを見詰めている。





    

    
<今日のおまけ>


    このところ、長野県内では、学校教員の不祥事が相次いでいる。

    教員に採用されたことを、当たり前だと思う緊張感のなさが、そうした呆れた行動を生むのである。

    自分は大勢の教員志願者の中から本当に幸運にも選ばれて教師になれたラッキー人間なのだ----という、自覚があれば、そんな気の緩みは起きるはずもない。

    よく、「教師は過酷な職業だ。身体が持たない」という声を聞く。

    ならば、無理をせず、病気になる前に早くやめてくれ。あなたの代わりはゴマンといる----そう、言いたい教員志願者は多いはずだ。

    今、あなたが教師をしていられるのは、あなたが優秀だからではない。

    あなたより才能も実力もありながら、それでも教員になれない人は腐るほどいるのだ。

    たまたま、運の巡り合わせで教職に就いていられるだけなのだということを、肝に銘じるべきである。

           
関連記事