違和感・・・
違和感・・・
2020年の東京オリンピック開催が決定した。
昨夜は、テレビで東京招致委員のお歴々によるプレゼンテーションを観たが、あれを、「洗練されていて、素晴らしかった」と、評価する声が多いということに、やや違和感を覚えた。
そもそも日本人が外国語で話をする時、どうして腹話術人形のような奇妙な表情になってしまうのだろうか?
芝居がかっていて、何ともいえない恥ずかしさがあった。
長野冬季五輪招致の時は、それでも良かった。
日本の小さな片田舎の長野市が、西も東も判らぬまま一生懸命にオリンピックを引こうと頑張ったのだ。
心もとない英語を話そうが、レディーファーストにもたつこうが、失敗を重ねながら額に汗し、見栄も外聞もかなぐり捨てて突っ走った。
それがまた、微笑ましくさえあった。
が、東京は違う。言わば地球上にあるすべての意味において最上級レベルの巨大先進都市である。
芸術文化、産業はもとより、ファッションにおいても世界のリーダー的存在といっても過言ではない。
その東京が、福島第一原発での汚染水漏れに対して、
「状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない」「東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル」「福島とは250キロ離れている」
この回答には、恐れ入った。
これでは、まるで「福島」を汚いもの扱いしているも同然の言い分である。
「福島県は、東京都とはまったく関係ない県なのです。あの県と一緒にしないでもらいたい」
そう言っているようにも聞こえた。
ある番組で一人の福島県民が、「我々は棄民(きみん・捨てられた民)のようだ」と、話していた。
今回の特別番組に出演していたタレントやアスリートなどのゲストコメンテーターたちが口々に東京のプレゼンを褒め千切る中、有森裕子さんだけが、
「物足りないところもあった」
と、答えていた。
おそらく彼女も、あまりに東京の素晴らしさばかりを強調するスピーチに、何処か不自然さを感じたのではないだろうか。
それよりも、
「今回の原発問題には、日本は国民の総力を挙げて取り組んでいる。福島は以前難しい局面を完全には払しょくしきれていないが、福島や東北被災地の子供たちも東京オリンピックを心待ちにしている。それが、彼らの未来を照らす大いなる希望の星にもなるのだ。
アスリートの皆さん、東京は最大限の努力をしてあなた方のパフォーマンスを応援する。だから、日本を怖がらないで欲しい。今の日本にはあなた方の勇気と元気がどうしても必要なのです」
ぐらいのことは、一言添えて欲しかったように思った。
<今日のおまけ>
今回東京がオリンピック開催都市に決定した舞台裏では、かつて長野冬季五輪を招致した経験者たちによるIOC委員への働きかけも大きかったそうだ。
塚田前市長は、今も親交のある40人ほどの同委員に向けて、東京招致をお願いする手紙を書いたそうである。
それにしても、マドリードは三度目の正直さえ実らず、ショックだったに違いない。
財政難云々というよりも、もっと別の複雑な思惑が水面下で働いていたのだろう。
かつて大阪市がオリンピック招致に乗り出さんとした時、大阪から来たという観光客に、わたしは、「とにかく、新しい道路や施設は極力造らない方がいいですよ」と、話したことがあった。
新しいものが出来て地域が良くなったためしがないからだ。
オリンピックに大切なのは、ハード面よりもソフト面を如何に充実させるかということである。
早い話が、結局は人情に勝るもてなしはない----と、いうことなのである。
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