~ 今 日 の 雑 感 ~
他人の子供じゃダメですか?
今年の二月上旬、香川県の県立病院で、体外受精の手術の際、別の夫婦の受精卵を誤って、妻のお腹に戻されてしまった夫婦が、県に損害賠償を求め提訴したというニュースがありました。
この報道を聞いた時、わたしは、無性に腹が立ちました。
病院側に対してではありません。提訴に踏み切った夫婦に対してです。
確かに、病院側は、お腹に入った受精卵が、本当に他人の卵子であったのかと、いう確認をするための説明責任を、妊婦側に十分果たしていなかったという手落ちはあったでしょう。また、そもそも、手術の際に受精卵を取り間違えるなどという初歩的なミスを犯すこと自体が、医師として重大な怠慢だといわざるを得ません。
そのために、その妊婦は、せっかく授かったお腹の子供を中絶せざるを得ないことになってしまった訳です。
しかし、わたしが疑問に思うことは、それよりも何よりも、どうして、その夫婦は、そこまで自分の子供に固執していたのかということです。
結婚すれば、自分の本当の子供が欲しいということは、十二分に判ります。そのうえで、男の子がよかったとか、女の子の方がいいとか、そして、更に、五体満足でなくては困るとか、頭が良い方がいいとか、顔が可愛い方が嬉しいとか、欲を言ったらきりがありません。
でも、どうしても子供に恵まれないのであれば、そして、体外受精を望んだのであれば、もしも、そのお腹の子が自分の子供でなかったとしても、そこまでして子供が欲しかったのですから、生まれた子供は自分たちの子供として大切に育てるという選択を何故しなかったのでしょうか?
自分の子供は生かすが、他人の子供は殺しても構わないというのでしょうか?これは、一種の犯罪行為に等しい問題です。世の中には、様々な理由で親に捨てられた子供や、親を亡くした子供が大勢います。どうして、そういう子供の親になるという選択肢を持たないのでしょうか?
こんなことを言っては失礼かもしれませんが、そこまで固執して生んだ実子が、必ずしも博士や大臣になる訳ではないでしょうに。
単に、自分たちの遺伝子を残したいという自己満足のために、非難される病院の方が気の毒です。それも、お腹の子供は、すこぶる順調に育っていたというのですから、人ごとながら、残念な気持ちでいっぱいです。
わたしは、もともと、自然の摂理に反した体外受精や、代理母というものには賛成出来ません。別に、運命論者ではありませんが、やはり、子供というものは、その親を選んで生まれて来るものでなないかと思うのです。
人間が生まれるということは、宇宙が出来るにも等しい、極わずかな確率の産物なのであるといった学者もいます。
事件に巻き込まれて否応なく妊娠してしまったような場合や、妊婦が幼すぎて、自分のしたことに責任が持てないような場合は別でしょうけれど、知識もある立派な大人が、自分たちの欲のためだけに胎児の命を犠牲にするなど、論外もいいところではないでしょうか。そういう夫婦には、はっきり言って、子供を養育する資格などないと思うのです。
親とは、身勝手な生き物です。このほど国会で議論されている脳死は人の死か-----という問題でも、他人の子供の脳死は「死」であるが、自分の子供の脳死は「死ではない」と、言い張るものです。
たとえ、夫婦間に子供が出来なくても、それを運命と割り切って、傍が羨むような円満な家庭を築いているご夫婦だっています。
もし、自分たちの間にどうしても子供が出来ないご夫婦がいらしたら、それは、子供がいないということで、子供のいる他の夫婦には出来ないことをせよとの使命を課せられているのだと考え、積極的に世の中に貢献して頂きたいと思うのです。