死刑囚への同情?・・・・・91

ちよみ

2009年07月11日 00:06

~ 今 日 の 雑 感 ~


死刑囚への同情?



    新聞を読んでいたら、死刑囚が獄中の生活について書いているという本が紹介されていました。

    朝起きたのち、十人前後の看守が続々と獄舎へ入ってきたら、誰かが処刑されるサインであるということや、朝食も風呂も与えられす、起床後、いきなり刑場へかりたてられること、窓辺に来る小鳥や野良ネコに束の間の心のなごみを感じる囚人たちに対して、看守は容赦なく、小鳥の卵をたたき落とし、野良猫を駆除するということなどが、淡々とつづられているのだそうです。

    その本の紹介文を読んで、わたしは、そういう世界もあるんだなァと、それなりの驚きや感慨を持ちました。

    しかし、読んでいるうちに、この紹介文を書いている女性作家の感覚が、次第にこの死刑囚に対する同情論に傾いて行くような気がして、妙な違和感を持ったのです。

   それも、その著書の中の、「今、生かされている幸せをかみしめながら、今日という日を大切にしている。毎日がぎりぎりの状態であったとしても、生を信じ抜くことが最後に残された死刑囚の勤めではないだろうか」という文章に、作家は、いたく感情を揺さぶられているような雰囲気なのです。

    もしかしたら、彼女は、この著書を読んでいるうちに、いわゆる「ストックホルム症候群」に近い状態になっていたのではないかと思いました。

    「ストックホルム症候群」とは、精神医学用語の一つで、犯罪被害者が犯人と一時的に時間と場所を共有したことにより、過度の同情心や好意などの依存感情を抱いてしまうことで、1973年に、スウェーデンのストックホルムで強盗人質立てこもり事件があった時、事件解決後、人質になっていた人たちが犯人を庇うような言動をして、警察に非協力的な態度を取ったことに由来するものだといわれます。

    しかし、この「ストックホルム症候群」は、恐怖や生来の生存本能に基づく、セルフマインドコントロールから発症するものですから、事件が解決して時間が経てば、被害者は、やがて、犯人に対しての憎悪の感情を思い出すという経過をたどるということです。

    この逆が、1996年に起きた、ペルー日本大使公館占拠事件です。ここでは、犯人側のテログループが、人質たちに共感してしまうという現象が起き、これを「リマ症候群」と、呼ぶのだそうです。

    つまり、この「ストックホルム症候群」に似た感覚を、女性作家も持ち始めてしまったようで、彼女の頭の中では、その死刑囚に殺害された被害者の感情は二の次になっているようでした。

    死刑囚の書く、「今、生かされている幸せ------」という言葉を、被害者の遺族が読んだらどのように感じるだろうかという想像力は、もはや、彼女の文章からは汲み取ることが出来ません。

    これは、ある意味、犯人の取り調べをしている刑事が、被害者よりも犯人の心理に飲み込まれ、犯人の死刑執行がなされた時に涙を流すという、奇妙な現象とも符合します。

    要するに、人間の感情というものは、実に不安定なものですから、そういう問題に向かう際には、まず自分の気持ちの中に、「おれは、決してブレない!」と、いう確固たる信念を持って臨むべきであろうと、思うのです。これは、つまり、ディベート(公的な問題について、あえて違う立場に分かれて討論すること)の方法にも似ています。何があろうと、自分は「白」を貫く。決して「黒」には加担しない-----と、いう感情論以外のスタンスを決めておくことで、軌道を外れずに対処できるのではないでしょうか?
<今日のおまけ>

    まだ、小さな子供が、エスカレーターの下側でしゃがみこんだら、要注意である。

    その子供の目に入っているものは、おそらく、エスカレーターをストップするためのボタンだからだ。

    かなり前になるが、長野市のイトーヨーカドーの下りのエスカレーターに乗っていた時、降り口付近に三歳ぐらいの男の子がしゃがみ込んだ。これは、何か、ヤバいことが起きるかもしれないと直感したわたしは、思わず、エスカレーターの手すりをつかんだ。

    すると、案の定、彼は、面白い物を発見したとばかりに、そのストップボタンを押したのである。

    もちろん、エスカレーターは、急停止。わたしの前に乗っていたおばさんは、危うく転がり落ちそうになった。

    店員さんは、仰天して走り寄り、その子の親は、もう真っ蒼である。まあ、エスカレーターに乗っていたのが、わたしとそのおばさんだけだったから、よかったようなものの、もっと大勢が乗っていたら、大変なことになっていたと思う。

    それも、下りだったから、何とか踏ん張れた。もし、上りだったら、後ろへ倒れて大惨事ともなりかねなかったケースだ。

    子供は、親にこっぴどく叱られて泣いていた。

    とにかく、子供は怖い。彼らの目は、何を見ているのか、われわれ大人には、それを未然に知る術がないのだから・・・・。   
関連記事