コメントには神経質になります・・・・・105
~ 今 日 の 雑 感 ~
コメントには神経質になります
わたしは、コメントに関しては、かなり神経質になります。
ブロガー同士のコメントは、特に顔が見えない分だけ、その神経質の度合いも高くなります。
しかも、わたしが前にコメントを書き込んだ頃は、なしのつぶてだったブロガーさんが、最近はどういう心境の変化か、皆さんのコメントに気さくに、長レスを書いて下さるようになりました。
でも、わたしは、もう、その方の記事にコメントは書きません。一度、いえ、二度までも無視されたことは、忘れない性質(たち)なのです。(ーー゛)
その方は、以前の贖罪のつもりか、時々わたしのブログを読んで下さっていますが、それなら、一言、何故コメントのレスが書けなかったのかという弁明の一つも、わたしのブログのコメント欄に書き込んで来て欲しいものです。
叱られるのが怖いのでしょうか?別に、取って食いやしませんよ。
また、以前、かなり頻繁にコメントをやり取りしていた作家志望ブロガーさんのコメント欄に、少しばかり、親しげに、
「何だか、その小説の主人公、少しずるい感じですね」
などと、書き込んだところ、そのコメントが馴れ馴れし過ぎたのか、かなり憤慨して、そのブロガーさんがブログを閉じてしまったこともありました。
いくら、毎日のようにコメントのやり取りをしていたからといって、そこまで自分の感情に踏み込まれるのは迷惑だったんでしょうね。
ブロガーの関係というのは、実に、ややこしいものです。
ですから、わたしも、コメントやコメントへの返事は、極力、ブログ内容に則したものにしていますし、過度に馴れ馴れしい言葉は使わない、また、相手のコメントの行数よりも、出来る限り多めの行数のレスを返すようにも努力しています。
だって、自分が書き込んだコメントに対して、相手のレスが、たった一言なんて、何だか寂しいじゃないですか。
コメントは、分量じゃないと言われるかもしれませんが、でも、まるで、木で鼻を括ったような返事を返されたのでは、がっかりですし、自分は、その程度の相手でしかないんだと、相手のブロガーに対しての興醒めもします。
コメントのレスを書くことなどは、正直、面倒くさいと思っている人もいるでしょうね。殊に、一日に何人にもレスを書かなくてはならないブロガーにとっては、煩わしいことかもしれません。
でも、コメントを残して下さるブロガーさんは、少なくとも、書き手のブログを読んで下さるっている訳です。それも、多忙な時間を割き、プロでもないド素人の書いた稚拙なブログをです。
これは、実に、ありがたいことではありませんか。
普通は、書き手がお金を払ったって、素人の書いた文章なんか、誰も読んじゃァくれませんよ。しかも、コメントまで残して下さる。
そのコメントが、書き手のブロガーと意見が合わない反論コメントだったとしても、誠心誠意、返事を書くことが礼儀だと思います。また、何かを相談しても、いつも逃げ腰のレスでは、そのブロガーさんへの信頼度もなくなりますし、人間性も疑われかねませんね。
もしも、どうしても、その日のうちにレスが書けないような事情があった場合は、「もう少し考えてから、コメントします」とか、返事を保留する理由を書いておられるブロガーさんもいます。
これが書かれているだけで、コメントを残した側は、「ああ、忘れられている訳ではないんだな」と、安心できるのです。また、少し遅れてレスを書き込んだブロガーさんでも、「返事が遅くなってすみません」などと一言添えて下さるだけで、書き込んだ方は、嬉しくなってしまうものなのです。
そんな訳で、わたしは、コメントを頂くと、特別な場合がない限り、なるべくその日のうちに、返事を書くようにしています。(コメントが書き込まれた時間が遅かったりした場合は、翌日に持ち越すこともありますが)
もしも、返事を書くのが面倒だと思ったら、そのブログに関しては、コメントを受け付けないという設定にしておけばいいのです。
わたしが以前コメントを書いたブロガーさんのブログが、先日も、何か月かぶりに不定期に更新されました。
しかし、数か月前のわたしのコメントに対する返事は、やはりなく、わたしのコメントは、相変わらずさらしものになっているばかりです。恥かしいというか、みっともないというか、レスを返す気がないのなら、削除してくれた方がましですね。
「可哀そうに、こいつのコメント、無視されているよ」
そう思われながら、不特定多数がそのブログを読んでいるのかと思うと、本当に腹が立ちます。嫌がらせとしか思えません。無神経なブロガーのブログに、コメントを書き込んでしまった、わたし自身の不明ですが、そのブログが更新されるたびに、口惜しくてならないのです。
<今日の雑感>
このところ、「必殺仕事人」が、再びブームとなっているが、「必殺------」と、いうと、わたしには、かなり苦い思い出がある。
実は、かつて執筆、出版したある歴史小説が、「必殺------」の脚本として無断で使われてしまったのである。
わたしには、一切何の連絡もなく、出版社が勝手にドラマ制作会社に売り込んでしまったのであるが、そんな事とは知らないわたしは、テレビのオンエアを観て、驚愕した。
登場する人物名も、藩の名前も、すべての設定が、小説そのものなのである。
何も、ここまで丸写ししなくてもよいものをと、思いながらも、腹立たしい気持ちで、出版社に掛け合うと、そこの社長曰く、
「あっちも、ネタ不足で困っていたから、助けてやったんですよ。版権は、当社にあるのだから、これをどう使おうと、わたしたちの自由ですから」
こちらが、「だったら、一言でもいいから、使用することを教えて欲しかった」と、いうと、作家なんて、作品を手放したら、もう何の権限もないと、突っぱねられてしまった。
裁判に持ち込めば、ある程度のお金は取れたかもしれなかったが、そんなことをしても時間の無駄だと思い、仕方なく、引き下がらざるを得なかった。
そんなことがあったので、わたしにとって、あのドラマは、正直、不愉快極まりないものなのである。
しかし、そんなわたしの気持ちなど他所に、父は、中村主水の大ファンなのだから、どーしようもないのだけれど・・・・。
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