八月十五日・・・・・121
~ 今 日 の 雑 感 ~
八月十五日
昭和二十年の八月十五日、太平洋戦争の終戦を知らせる玉音放送が、ラジオにより全国民に向かって発せられました。
わたしの父の自家の近くには、元関東軍参謀副長(後の満州軍総司令官)を務めた川田明治(かわだあきはる)氏が疎開していて、わたしの祖父母や父がいる実家へ、その日、ひょっこりと現われると、一緒に居間へ正座し、その正午の放送を聴いたのだそうです。
「朕は、帝国政府をして米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受託する旨通告せしめたり------堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び------」
昭和天皇のお言葉が、ラジオから流れだすと、川田中将は、にわかに肩を震わせて唇を噛み、ただ一言、
「東条の馬鹿めが・・・・・」
そう、呻くように呟いたといいます。川田中将は、こんな戦争は、いつまでも続けるものではないと、自分の陸軍士官学校の三期後輩でもある陸軍大臣の東条英機首相のやり方を批判していたといいます。
そんな八月十五日は、戦後六十四年も経った今でも、やはり、日本人の心の何処かに大きな蟠(わだかま)りとなって存在しているのです。
以前、こんなことがありました。
わたしが、家の近所を散歩していた時のことです。最近、よく見かけるようになった外国人観光客の男性が二人、大きな登山用のリュックサックを背負って歩いていました。
すると、二人は、そばを通りかかった乗用車を呼び止め、運転者の年配の男性に何やら話し掛けています。
最初は、気軽に話に応じていた運転者でしたが、やがて、険しく顔をゆがめると、大きな声で、
「ダメダメ、今日が何日だと思っているんだよ。こんな日に、あんたらをヒッチハイクさせたら、ご先祖に顔向けが出来ないよ」
そう言って、自動車を走らせ去って行ってしまいました。
そんな彼らの会話を、近くで聞いていた斜向かいの喫茶店のおばさんに、「何があったんですか?」と、訊ねたところ、
「あの外国人のお兄さんたち、アメリカ人なんだって。それで、ヒッチハイクをしているので、車に乗せて欲しいって頼んだら、おじさんが、今日は八月十五日だから、乗せないって言ったんだよ。日にちが悪かったよね」
と、いうことでした。確かに、父親や兄弟が戦死でもしていたとしたら、とても、この終戦記念日に、アメリカ人に親切にする気になどなれないことでしょうね。
普段は、わたしなどの若い世代は、何気なく迎えている八月十五日ですが、やはり、年配の方たちには、未だに、辛く、アメリカに対する複雑な気持ちを回想させざるを得ない、特別な一日なのだなァと、考えさせられた一場面でした。
<今日のおまけ>
甥っ子の夏休みの宿題に、パソコンが必要だということで、この前、一日貸してやった。
今の高校生は、パソコンなどノートの一冊と同じように使っているそうだ。すごい世の中になったものである。
もちろん、パソコンを持っていない生徒は、手書きでレポートを提出すればいいのだが、持っている場合は、書いたレポートをメモリースティックとやらに入れて、提出しなければならないそうなのである。
そうなれば、もちろん必然的に、高校の先生もパソコンが判らなくては、仕事にならないということだ。
世の中すべてコンピュータだらけ。この後は、何が出て来るのか、恐ろしくさえある。
夏休みの宿題を解くのも、進学のための夏期講習も、地デジが普及すれば、パソコンとつないで双方向の勉強システムが完備されるだろうから、いちいち学習塾へ出かける必要もなく受講が可能になるかもしれない。
また、診療所を持たない、ネット・ドクターなる開業医が出て来るやもしれず、もしも、そんなことにでもなったら、本物と偽物をどうやって見分けたらいいのだろう。
そんなことを想像するだけで、何だか疲れが出て来てしまう。
テレビのチャンネルを、直に手で回していた時代が懐かしいなァ・・・・。
な~んて、書いているけれど、本人、地デジって、ホントはイマイチよく判っていないんだよね。
あっちこっちからの聞きかじりです。
関連記事