夜の声・・・・・125

ちよみ

2009年08月11日 15:47

~ 今 日 の 雑 感 ~


夜 の 声


    夜の話し声は、とにかく良く響く。

    わたしの寝室の窓の下の道路を挟んだ向かい側には、ちょっとしたベンチがあるため、夜中でも、そこに人影が見える時がある。

    そのベンチは、小さな街灯で照らされているので、そこに腰をかけていると、その人たちの姿は一目瞭然なのであるが、たまに、街灯が消えている時があり、そうなると、そのベンチは人目を忍ぶには格好のコミュニケーションスペースとなってしまうのである。

    そこに座って話をしている人物たちの姿や顔は判らない。しかし、当人たちは気が付かないかもしれないが、彼らの話声は、そっくりそのまま上へと上がり、ちょうど、わたしの部屋の窓のすぐ外で話をしているかのように、はっきりと聞こえてしまうのである。

    ある時は、男女二人の痴話喧嘩が、まるで、ラジオの実況中継でも聞くように、耳に入って来たことがあった。

    既に、時間は真夜中の二時を回っている。

    男は、女に、別の男との関係を断てと迫り、女は、自分はその人の世話で働き口を見付けたのだから、簡単には手は切れないと言う。男は、女に、今から携帯でそんな男に紹介された職場はやめると、男に伝えろと、言うが、女は、嫌だという。

    そんな押し問答の末、男は、女の携帯を奪うと、勝手に何処かへ電話をかけてしまった。やがて、携帯に相手が出ると、今度は女にそれを渡し、相手と話をさせる。

    その会話は、さすがに声がくぐもって、よく聞き取れなかったが、かなり長い時間会話は続き、その間、わたしは、まったく眠ることが出来なかった。

    すると、わたしのように、話し声で眠れなかったのか、近所の男性が家から出て来たらしく、

    「いつまで、しゃべっているんだ!いい加減にしないと、警察へ通報するぞ!」

    と、怒鳴るのが聞こえ、二人の声はその後、ぱったりとやんだ。



    また、つい最近は、やはり真夜中に、そのベンチへ腰掛けて、中年の女性二人が自分の家に介護老人がいるという話で盛り上がり始め、大笑いをしたり、手をたたいたり、果ては、歌まで歌い出す始末で、どうにも我慢がならなくなってしまった。

    この前、男女を怒鳴り付けた近所の人が、また出て来てくれればいいと思っていたが、今度は、一向にその気配がない。留守なのかもしれないと、がっかりしながらも、それでもしばらくは辛抱していたが、午前三時を過ぎたあたりで、もう限界になった。

    わたしは、自分の寝室の窓を開け、彼女たちに向かって叫んだ。

    「うるさくて眠れないので、何処か別の場所で、しゃべって下さい!!」

    すると、彼女たちは、渋々腰を上げて、そのベンチから去って行った。

    夜の声は、昼間に比べてかなり大きく聞こえる。どんなにひそひそ声で話しても、実にやかましく聞こえるものなのである。自分たちは、他に誰もいないと安心してしゃべっているのかもしれないが、人の耳は、何処にあるか判らないのだ。

    もしも、犯罪に関係する悪だくみなどを相談するのなら、外のベンチは避けた方がいい。近所の人たちは、みんなその声を聞いているのだから・・・・。
<今日のおまけ>

    「虫の知らせ」と、いうことで、もう一つ思い出しました。

    わたしの父方の祖父が亡くなる直前、我が家の居間で横になり、夜の時代劇をテレビで観ていた父は、急に自分の周りの空気がシーンと、静まり返り、テレビの音声以外は何一つ聞こえないという、奇妙な感覚を持ったそうです。

    そのあくる日、祖父は、病院で亡くなりました。

    これも、一種の「虫の知らせ」ではなかったかと、父は話します。




    

    ところで、最近気付いたのですが、ブログを書くことで、人の心を癒やしているのだと安易に自慢をする人が稀にいるということに------。
    
    中には、本当に子供たちのため、悩みを抱えている大人のため、こんな自分にも何か役に立つことはないかと、時に、自らが他のブロガーのための盾となり、必死に、真剣に、生きるべき道を模索しているブロガーさんもいます。

    しかし、とかく、似非「幸せ伝道師」を気取りつつ、実際は、その陰の言動で、平気で他人を傷つけている人もいるのです。

    他人には、素直になりなさいと説きながら、こと自分に忠告をする者には、皮肉やごまかしで応じる。

    最悪です!!

    わたしたちは、とかく上辺の美辞麗句に惑わされがちですが、その人物の本質が何処にあるのか、見極めるためのしっかりとした目を、持たねばならないと思うこの頃です。  
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